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ちはやのつぶやき

韓国ドラマ【宮】の二次小説・つぶやき中心のブログです。

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2021-08-22 (Sun)

【夏宵奇譚】第32章

【夏宵奇譚】第32章

【第32章 九十九番目と百番目】  百花の精霊の一人が、天帝の前で事の次第を説明していた時。百花仙子は地仙である麻姑と彼女が統率する酒精数名と共に人間界に降りていた。仙人は自由に仙界と人間界を行き来できるので、神力が強すぎてそのままの姿を保ったまま人間界へ降りることが出来ない神々のお使いをよく頼まれていたのだ。 その時も、西王母が桃の園で催す宴に出される極上の酒を求め人間界へ降りていた。ようやく見...

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【第32章 九十九番目と百番目】



 百花の精霊の一人が、天帝の前で事の次第を説明していた時。百花仙子は地仙である麻姑と彼女が統率する酒精数名と共に人間界に降りていた。仙人は自由に仙界と人間界を行き来できるので、神力が強すぎてそのままの姿を保ったまま人間界へ降りることが出来ない神々のお使いをよく頼まれていたのだ。

 その時も、西王母が桃の園で催す宴に出される極上の酒を求め人間界へ降りていた。ようやく見つけた極上の酒を手にしていた時、取り乱した様子で天帝の使いが姿を現した。何事かと百花仙子が尋ねれば、彼は息を整える暇もなく百花仙子に告げたのだ。



 天界にて百花が咲き乱れたのです…と。





――百花の精霊たちはそなたが命じたのだと言っていた。だから一斉に種に仙力を与えたのだと。



――今、百の花が一斉に咲いたということは、この先の三つの季節に、この天界から花が消えるということだ。この罪はあまりに重い。



――西王母が紫仙女のためにその仙力を封じるための長い眠りに入った。我は止めたが、西王母の願いはあまりにも強かった。西王母も我が傍らに無く、百花さえも失われるとは…。



 悲嘆する天帝の姿に百花仙子は心至れたが、身に覚えのないことで断罪されるいわれはない。

 自分が人間界へ行っていた間に、天帝と西王母の末娘である紫仙女が〈人〉によってその命を奪われた挙句、〈人〉として転生を繰り返す運命の中に放り込まれた。さらに青帝もその〈人〉の命を奪った罪で人間界へと落とされ、西王母は二人を追いかけて人間界に行くために仙力を封じる長い眠りについたという。

  この短い間に、神々の世界ではありえないことが起こりすぎている。



――百花の精霊は仙界での命を終えて人の世に還った。ただ一人を除いて。



 天帝はそう言って百花仙子の目の前に白い巾着をぶら下げて見せた。無言のまま受け取れと促され、百花仙子はその巾着を手に取る。その中に入っているのは、一気に咲き誇ったがゆえに、それを押し止めようとした万物成長の神である女夷が放った仙力によって種となってしまったものだった。

 本来、天界の花は種を残すことは稀である。天界の花を守護する百花の精霊は、天界での精霊としての寿命を終えると〈人〉として生まれ変わるのが定め。その際に種を一粒残して行く。百花の精霊は元を正せば〈人〉であった者の魂魄が変化したものだった。〈人〉として生まれたにもかかわらず、母親の胎内から外の世界に生きて出ることが叶わなかった赤子の魂を北斗星君が拾い上げ、百花の精霊として天界へ連れてくるのだ。そしてその魂は残された百花の種に宿り花を咲かせる。種から最初に咲いた花から精霊は生まれ、百花仙子が守護を授ける。それが天界における百花の精霊の正体なのだ。

 百花がそのまま咲き誇れば、精霊たちの仙力が互いに互いの力を引き寄せ、植物と呼ばれるものすべてにその影響を与えるであろうことが予測できた。それ故に何とかせねばと動いた女夷の判断は間違ってはいない。問題は、誰が百花仙子を語って百花の精霊に命令を出したのか、だ。

 しかし、天帝は百花仙子の訴えに耳を全く貸すことなく、すべて人間界へ転生してしまった百花の精霊の魂魄を取り戻すよう命じたのだ。









 後宮では妃を迎えるための準備が大急ぎで整えられていた。式典などで常時使われていた第一位の殿閣、それまで東西の皇太后が妃として暮らしていた第二位と第三位の殿閣は元々手入れも良く行き届いていたのでそれほどではなかったが、第四位と第五位の殿閣は修繕が必要な個所もいくつか見つかっている。後宮と言う特殊な場所故に、大工と言えども厳しい制約の中で作業せねばならず、その監督の役割も女官長であるスヨンの役目となっていた。

 離宮からすぐに後宮へやってきて、新しい妃を迎えるための殿閣が整えられているかどうかの確認で各殿閣を回っていた時だった。

 軽い耳鳴りがスヨンを襲う。それはこの王宮内で星見の結界が何者かによって強制加除された事を知らせるものだった。方角的には正神殿がある方だったが、感じた気配はもう少し手前のような気がした。そこには王の住まう正殿がある。

 まさか…と、思うが。式神を飛ばして様子を窺おうとしたところで、人目を避けるように素早く移動していく人影が目に入った。

「王女殿下…?」

 ヘミョンもこの後宮に居たらしい。そしてて同じく今の気配を察知し動いたに違いない。ならば、その後を追うように式神を飛ばし様子を探るのが一番良い。スヨンは懐から鳥の形をした白い紙を取り出し己の息を吹きかけた。紙から鳥に姿を変えたそれはヘミョンの後を追うようにまっすぐ正殿の方向へと飛んで行った。

 式神が返ってくるまでの間に女官長としての仕事を再開させる。しかし、すぐに自分の式神が新たに張られた結界によって元の姿に戻ってしまったのを察する。しかもその結界は星見の物ではなかった。何かが起こったのだ。

「女官長様。大工たちが修繕個所の仕上がりを確認して欲しいと言っております」

 後宮の女官がスヨンを呼びに来た。しかし、今はそれどころではない。

「貴女が確認なさい」

「え?しかし…!女官長様?」

 後宮の女官の声を背に、スヨンは踵を返すと大急ぎで正殿へと向かった。



 正殿へ続く廊下で、既に異変が起きていることを感じる。

 すれ違う内官や女官、正殿に近づくにつれ出会うことが多くなる大臣や家臣たちが、スヨンの顔を見るなり同じ言葉を投げかけてくるのだ。



「王陛下に置かれましては、本日は体調が優れぬと臥せっておいでなのです」



 そんなはずはない。何かがおかしい。

 だって、朝一番で正殿へ向かい、直接王と話をしているのだから。

 その時に、今声をかけられた内官や女官数名とも顔を合わせている。なのに、まるで今初めて出会ったような口ぶりで…。

 スヨンはそんな彼らを無視し、王の居る執務室へと近づいていく。それにともない感じる圧迫感。それが結界であると理解したが、星見や己が造り出す物とは違っている。かすかに感じるのは仙力。天界に関係する誰か創り出したもの。

「まさか…青帝様が目覚められた?」

 スヨンはようやく執務室前の扉までやってきた。

「これは女官長殿。生憎、王陛下に置かれましては、本日は体調が優れぬと臥せっておいでなのです」

 部屋の前で護衛をする王宮警備隊員。スヨンは朝会ったはずの彼らにまたも同じ台詞を向けられきつく睨みつけた。

「今朝も一度この場に私は来ているはずです。中で何が起こっているのです。誰にそう言えと言われているのですか?」

「おかしなことを…。女官長殿は本日まだ一度もこちらにはおいでになってはおりませぬよ」

 そんなはずはなかった。だとすれば何かの術をかけられていると見るのが正しいだろう。

 スヨンはそれ以上押し問答するのはやめて、直接扉に手をかけ、勢いよく開いた。

 開いたその先は控えの間である。

 室内の椅子には東の皇太后付きの女官が一人座っていて、さらに少し離れた場所に置かれている執務机には王の側近である内官がなにやら書類書きをしていた。

 二人ともいきなり入ってきたスヨンに反応することなく、そのままの態勢でそこに居続けている。女官はともかく、内官が行っている書類書きに不自然さが見え、スヨンはゆっくりとそちらに近づく。ふと、背後の扉が気になり視線だけをそちらに向けたが、警備隊員もまた、スヨンに関心を向けるでもなく真正面を見据え、〈警備〉している。

 まるで決まった動きをさせられている人形の用だ。

 スヨンは内官が手にしている書類を見て思わず息をのんだ。

 書き物を、確かにしている。しかし、神の上には何度も同じ文字が掛かれ、筆の隅が切れると、硯の隅に浸されまた同じ文字を書き連ねる。それ故、白く大きな紙面は文字の重ね書きによって黒く染まっていた。

「何が…起こっているの?」

 スヨンは控室の向こう、王が居るはずの執務室への扉を睨んだ。何も音は聞こえない気配もしない。感じるのは恐ろしいまでの圧迫感。おそらく結界は執務室の中から施されている。その結界を解除しなければこの先へは入ることはできない。

 扉の前まで行き、そっと戸口に手をかけてみる。しびれるような感覚が指先から伝わり、スヨンの持つ特別神官の力では解除できそうにないことを悟った。その時だった。

 勢いよく扉が開き、まるで室内に吸い込まれるようにしてスヨンの身体が動いたのだ。それはほんの一瞬の出来事。

 気づけば、スヨンの目の前には王とその生母、ドンソクと王太弟、それに倒れ込む王女を介抱する星見の姿があった。



「ようこそ、九十九番目の百花の精霊よ」



 スヨンは目を見張った。自分にそう声をかけた人物が誰であるか理解し、そして、青帝は未だ覚醒していないことを同時に悟った。

「何故…私の事をそうお呼びになるのですか。王陛下」

 この部屋で今まで何が語られていたのかも知らずに、うかつにその名を呼ぶことは憚られる。スヨンの中で、この部屋の中に居る人物の中で王だけが唯一関係者以外であるはずなのだ。なのに、彼はスヨンに向かって「九十九番目の百花の精霊」と声を掛けてきた。

 王は柔らかな笑みを浮かべている。スヨンも即見知った王の顔だ。しかし。

「我は百番目の百花の精霊である」

「な…!!」

「そして…この国の王でもある」

「証拠は…百花の精霊足る証拠はあるのですか!」

 初めて見る、スヨンの動揺する様に、王はくつくつと笑い声を漏らした。

「これの事か?」

 そう言って、王は自分の手を前に差し出した。

 その手の小指は赤く染まっていて、一見、星見のそれと全く同じに見える。スヨンが思わず眉をひそめたその時。小指の爪がかすかに盛り上がったかのように見えた。

「星見と同じ…。まさか本当に…」

「当人が認めよう。わが父は先王にあらず。先代の星見であった男だ。そこに立つわが母が、権力欲しさに行動した結果だ。しかしそれがこうして青帝を悩ますことになろうとは」

 今王は何と言った。スヨンの頭の中は混乱し切りだ。

 目の前の王は、スヨンが良く知る王そのものではなかった。自らを百花の精霊が一人と名乗り、なおかつ、その身体に流れる血は先王の物ではないと言い放った。

「特別神官スヨン。そなたも星見の予言は知っているだろう。〈百花の王は百の花を咲かせる〉。九十九番目の花を咲かせた百花の王は時期に百番目の花を咲かせることになる」

「…まさか、百花の王も近くに居らっしゃるというのですか?」

「〈人〉としてこの世に生まれ、百花の王から種を手渡されその花を咲かせることで精霊が一人であることを証明されたそなたではあるが。天界での記憶、そのすべてを思い出してはおらぬな」

「…」

「本来、星見の元へ集められた百花の精霊は徐々にその記憶を取り戻していくはずではあるが、先代の星見がそれを押し止めていた」

「どういうことなのですか…」

「先代の星見は現星見であるハヌルにもこの記憶はわざと引き継がなかった。だから、そこのハヌルは知らない。

天界の百花には精霊が宿る。天界で精霊としての寿命を全うせずに〈人〉に堕とされたのだ。それを百花仙子が探し出し、この王宮へ集めるよう、神殿や特別神官という仕組みをこの国に布いていったのだ。百花の王の元で精霊たちは記憶を取り戻し、すべてを思い出した後に天界へ還る。あの時、無理に花を開かされた状態にあった、その精霊の姿に還るのだ」

「百花の王の元で…?」

 王は未だ床に座り込みヘミョンを介抱しているハヌルに視線を向けた。彼女は青白い顔をして無言のまま。スヨンはそこで気づく。星見である彼女が、何故、こうまで関係者が集まるこの中にあって一言も口を出さないのか、そして、王女ヘミョンは何故ハヌルに介抱されているのか。

「星見だと言って、記憶がなかったこの私にずいぶん偉そうな口をきいてくれたな、ハヌル。私が先ほど話して聞かせたことを、お前の特別神官にも話してやると良い」

 スヨンはこの部屋の中に居るすべての人物に目をやる。どうやら、自分以外はすでに知った話らしい。

「星見。百花の王について…?」

 スヨンがハヌルに尋ねると、彼女は小さく頷き、視線はヘミョンに向けたまま震える声で話した。

「百花の王は…この王宮に封印され眠っています」

「封印?この王宮の…どの場所にですか?」

「正神殿の地下…」

「正神殿…?」

「正殿の地下と王宮の四隅にある守護神像の地下にも」

 スヨンはその頭の中にこの王宮を上からみた図を思い浮かべた。複数の場所に封印されている百花の王。

「まさか…とは思いますが」

「百花の王は、その身体のそれぞれを、それぞれの場所に封印されています。封印の際に生み出される結界がこの王宮を護っている。そして、この私を…星見をこの王宮に縛り付けているのです」

 知り得た事の大きさに衝撃を受け、立ちつくしかできないスヨンの前に王が歩み寄る。そして避ける暇もなく、その額に王の人差し指を押し付けられた。

「そなたが来るまでにこの部屋で話して聞かされた事を見せよう」

 王の言葉と共に流れ込む記憶。

 スヨンはこれまでにこの部屋で起こったことを知る。そして、王が何故星見と同じ力を使えるのかも…。

「王陛下は先代星見と北斗星君の因子を引き継ぎ、なおかつ百番目の精霊…」

 スヨンは怯えた目で王を見つめた。

「百番目の精霊が守護する百花は曼殊沙華。種は…存在しない。だから、ただ一人だけ天界に残ることが出来た…。その花は西王母様が蟠桃園に持ち込むことを禁じられた…禁花。そして、この〈人〉の世にはあり得ない花。つまりは…百番目の百花は私達一番目から九十九番目の精霊とは違う」

「そこは思い出しているのか」

「星見の予言では百の花が咲く。この〈人〉の世に曼殊沙華が根付く。そして、貴方が天界に還らない限り、天界に曼殊沙華は咲かない。天帝様の意図が解らない」

 スヨンはその身体から力を失い、その場に倒れ込んだ。その身体が床に着く寸前で、ドンソクが駆け寄りしっかりとその胸に書き抱く。

「王陛下…。あなたの…本当の望みは…何なのですか?」

 ドンソクの鋭い視線が王に向けられた。
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2021-07-22 (Thu)

【夏宵奇譚】第31章

【夏宵奇譚】第31章

【第31章 東の皇太后と昔話】――そなたの望みは何だ? 仙界のとある場所で、〈人〉はまっすぐと彼を見つめている。 彼…北斗星君は何かを期待するような眼差しを向け、その〈人〉に尋ねた。――〈人〉でありながらこの仙界の入り口までたどり着けたということは、そなたには何かかしら神々の因子が含まれているということだ。それで…何が望みだ。――天界に…天帝様の元で過ごすことが私の望み。 北斗星君は少しばかり驚いて、目の...

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【第31章 東の皇太后と昔話】

――そなたの望みは何だ?

 仙界のとある場所で、〈人〉はまっすぐと彼を見つめている。
 彼…北斗星君は何かを期待するような眼差しを向け、その〈人〉に尋ねた。

――〈人〉でありながらこの仙界の入り口までたどり着けたということは、そなたには何かかしら神々の因子が含まれているということだ。それで…何が望みだ。

――天界に…天帝様の元で過ごすことが私の望み。

 北斗星君は少しばかり驚いて、目の前の〈人〉に一歩近づき、その顔をさらにじっと眺めた。感じ取れる仙力はない。何かが〈人〉に化けているのかとも思ったがそうでもないようだ。

――何故〈人〉であるそなたが、天帝様の事を知っている?…いや、知っているからこそこの場にたどり着けたということなのか?

――すべての神の頂点に立つお方。それが天帝様なのでしょう?天帝様の元で過ごすことが出来るということは、私は〈人〉ではなく〈神〉という者に分類されることになる。

――神になって何がしたいのだ。

――あなたの側にいたい。あなたは忘れているかもしれないけれど、私はあなたによって〈名前〉を授けられた〈人〉。

 北斗星君は思わず驚きの声を漏らした。
 神である自分にとってもかなり昔の話だった。天帝の思い付きで生み出された〈人〉に興味を向けたのは、彼女が最初で最後だった。
そもそも〈人〉は神々に比べて寿命が短い。短い分、その子孫は驚くべき速さで増え続けた。死を司る北極星の守護神北斗星君と、生を司る南極星の守護神南斗星君は忙しさに追われ、西王母が取り仕切る蟠桃会の宴にもしばらくは参加できずにいた。
 その忙しさの中でたまたま、そうたまたまだったのだ。
 これから生まれる一つの魂魄。〈人〉として人間界で短い一生を終えるだけの、その魂魄の中の一つをすくい上げる。南斗星君にはやめた方が良いと忠告されたが、北斗星君はたったその一度だけ、生まれる前の〈人〉の魂魄に名前を付けて人間界へ落とした。
 南斗星君が言うには、神々が名前を授けた〈人〉は輪廻を繰り返す運命になるらしい。らしい、というのは、南斗星君ですらそれを実行した事がなく、ただそういう物だと知っているだけの事だった。


――私はたかだか数十年で今の生を終えてしまう。やっとのことでここを見つけたのに、次の生ではまた最初から探さなければいけない。

 そう言って、〈人〉は北斗星君に向かって己の手を差し伸べた。その手の小指の爪が赤く染まっているのを見つけた時、北斗星君はすべてを理解した。
 神々の因子を持つ〈人〉の身体にはその証がどこかに現れる。南北の星を司る守護神の場合は手の小指に現れる。

――そうか。〈人〉は儚くその命をあっという間に失ってしまうが、君はその記憶を持って命を繋いできたのだな。


――私の名は…ファヨン。北斗星君様。私は〈人〉ではなく、神となってあなたの側に居たいのです。それが、私の望み。




「東の皇太后。貴女に聞きたいことがある」
 東の皇太后はその場に座り込んだまま、ゆっくりとシンを見た。
「貴女は父上の死に関わっていたのか?」
 それは禁忌とされていることだった。実際、体が弱っていく先代の王には、これと言った病名はつくこともなく、治療薬さえ、その苦痛を和らげるために使われる物だけだった。食べ物に毒が入っているようなことは無かった。それは毒見薬が確かな証拠として証言している。それに、先王の体の不調は毒によるものではなかった。この世にあるすべての毒に対する解毒剤を用いても、体調は全く改善されることはなかった。まだ発見されぬ新たな毒を用いたのかもしれぬという可能性も考えられ、王宮の典薬院にはありとあらゆる毒と薬が集められ、医師たちの毒に対する知識はかなり高いものだった。それでも、最初に倒れてから十年以上生き永らえることが出来たのは奇跡だと…典薬院の医師たちは口をそろえて言っていた。
 呪詛の可能性もあると、星見をはじめ特別神官も動いてはいたが、証拠となるようなものは一つも見つからなかった。
 誰も口にはしないが、先代王がどんなに二人を公の場で平等に扱っても、東の皇太后は西の皇太后には及ばなかった。先代の王が本当に愛していたのはただ一人…西の皇太后である…。
 東の皇太后はシンを見上げたまま「いいえ」と答えた。
「それでは、自分に有利になるように、何か父上に話を持ち掛けたことは?」
 そこでも東の皇太后は「いいえ」と答えた。
「質問を変えよう。貴女は王の血を持たぬ者がこの国を引き継いでいくことに何の疑問も持たなかったのか?」
 東の皇太后はちらりと王の方に視線を向けた。が、王は自分の事を貶めるような発言をされているというのに、まるで他人事のように、シンの、東の皇太后を断罪する様を見ている。
 東の皇太后はぼんやりと前を見つめたままぽつりとこぼした。
「血を持たぬなら与えれば良い」
「何だって?」
「あの方に良く似た星見がそう言ったのよ」
「星見が?」
 シンの視線がハヌルに向けられた。たが、ハヌルは首を横に振る。星見としての務めの記憶は引き継いでも、私的な記憶までは引き継いでいないのだ。
「あの方は私の望みは何かと尋ねたわ。私の望みはあの方の側にいる事。天帝と共に居るあの方の側に…。そのために…必要な事だった…」
「貴女が言う〈あの方〉とは?」
 東の皇太后はそこでゆっくりと立ち上がった。
 シンをはじめヘミョンもハヌルも軽く身構えた。ドンソクは王の前に彼を護るかのように立ちふさがる。
立ち上がった東の皇太后は自分の手のひらを見つめている。そしてその肩を一つ大きく震わせたかと思うと今度は何かを探すかのように辺りを見回した。そして再び自分の手のひらを見つめる。
そのあまりの挙動不審な様子に、ヘミョンが一歩前に進み出て声をかけた。
「東の皇太后様?」
 自分に声をかけてきたヘミョンを振り返り、東の皇太后はきつい視線を向ける。その様子に再度身構えたヘミョンだったが…。
「炎帝…!」
 大きく目を見開き「炎帝」と呼ばれたことで、一瞬ヘミョンはひるんだ。その一瞬を突き、東の皇太后はヘミョンの腕を掴み上げた。
「何をする!」
 シンが思わずその腕を振りほどこうとするも、東の皇太后の力は尋常ではない。その目も血走っている。
「…あの時。貴女も私を殺そうとした。青帝と共に〈人〉の世に落ちればよかったのに。聡明な貴女は一瞬のうちに判断し、青帝の腕にその矢を放った」
「覚えているの…?いえ、思い出したのね」
「ええ、思い出したわ、何もかも。これこそがあの方の望んだ事。これで私はあの方の元へ行ける。
 〈人〉殺しの神は天界に住まうことを許されず〈人〉の世に落ちる。
 〈神〉殺しを行った〈人〉は、その〈神〉が落ちた〈人〉の世でその〈神〉が持つ証しを手に入れることで〈神〉となることが出来る」
 東の皇太后は禍々しい笑みを浮かべる。何を言っているのかとヘミョンが眉をひそめたその時。東の皇太后は掴んでいたヘミョンの腕を捻りあげるとあっという間に空いている方の手をその胸元に滑り込ませた。
「あぁっ…!」
 次の瞬間、ヘミョンは苦しげにうめき声を上げた。そのただならぬ様子に今度こそシンが動いた…が。
 力づくで振り払った東の皇太后の手には、赤く光る守護神の証しである玉があった。その玉を奪われたせいなのか、ヘミョンは力を失い床に倒れ込む。ハヌルが駆け寄って介抱するも、ヘミョンは意識を保つのが精いっぱいのようだった。
「持ち主以外がその玉を持っても何の効果もない。それをどうするつもりだ」
「そうね。今までの守護の証しはそうだった。でも、これは別物だわ。あなた方は覚えていないことかもしれないけれど、青帝がこの王家にのみ転生するのと同じように、炎帝もまたこの王家のみに転生する。さすがの天帝も四神を二人も天界から〈人〉の世に落とすことに頭を悩ませたのでしょうね。西王母に天界の仙力を与えるために〈人〉としてこの世に生まれた炎帝に与える力の源。王の直系であれば星見から守護の証しが授けられる。それを天帝は利用した」
「それでも、炎帝の証しであるそれは貴女の役には立たない。何故なら」
「何故なら」
 シンと東の皇太后の声が重なった。そのことに驚き、シンは思わず息を飲み込む。
 その言葉の先を促すように東の皇太后は己の顎を突き出して見せた。その続きを声に出したのはドンソクだった。
「東の皇太后様、貴方は先ほどこう言っておられたではないですか。〈人〉殺しの神の物でなくては意味がない、と。今その手にあるのは炎帝様の物。東の皇太后さまが手に入れねばならないのは青帝様である王太弟殿下の証しのはず」
 それはシンも同じことを思っていた。
「ここに居る者の中でそなたが唯一、天界にはかかわりがない者。そうでありながらこれまでの話を理解し口を挟むなど…」
 先ほどまでうなだれ、どこか呆然としていた東の皇太后の姿はなかった。今までのように、自分こそがこの王宮で頂点に立つ者だという雰囲気が戻ってきていた。それは「すべて思い出した」と言う彼女の言葉によるものなのか。
 未だ、王はその場に立ちながら目の前で繰り広げられる出来事を傍観しているのみである。その表情にはどこかとんだ茶番を見せつけられているかのような呆れも交じっていた。
「そうか」
 東の皇太后が何か面白い物でも見つけたように目を見開く。
「ドンソク。そなたは〈知る者〉となっていたのだな」
「そうです。私は〈知る者〉となり、現在この王宮で起ころうとしている何かから王陛下をお守りするためにこの場に居ます」
「そうか」
 東の皇太后は手にしている玉を己の手の中で弄ぶ。
「確かに、この玉は炎帝の物で天界からの仙力を強く宿している。現に、これを奪われた炎帝は本来の〈人〉の力のみを保有し生きているに過ぎない」
 ハヌルは起き上がれない程に衰弱しきっているヘミョンの顔をちらりと見て、そして鋭い視線を東の皇太后に向けた。
「術は失敗したと思っていたけれど、ちゃんと効いているようで何より」
「どういうことです、東の皇太后様」
 東の皇太后はハヌルに笑みを返すと、シンの方に向き直った。
「王太弟。貴方の先ほどの質問に答えましょう。先王の死に関わっていたか否か」
「やはり…!」
「何も知らぬ一人の妃であった私は、自分以外の妃が国母になるなど許せなかった。それは当然、宰相である兄も思っていた事よ。だから、あの妃選びのあった星祭りの夜。私は現身の術を使って先王と関係を持った…」
「どういうことだ」
「王太弟。貴方の母である西の皇太后は、先王が選んだただ一人の妃になるはずだったのよ」


 
 先王の代で行われた妃選び。その中にあった星祭りの夜。
 時の宰相が娘ファヨンの元へ、兄であり宰相補佐役を務める兄が険しい顔でやってきていた。何事かと問えば、王はすでに妃をその心に決めているとの事。
 そんなことかと一蹴するファヨンは星祭りの宴できるための衣装の確認に余念がない。妃は第五位まで選ぶのが慣わし。妃が五人いたとして、最も高い第一位の妃になればその後の事はどうにでもなるというもの。しかし、兄は思いも掛けないことを口にした。

「王陛下は、ただ一人を妃にと望んでいらっしゃる」
 
 ファヨンの手の動きが止まる。他の四人の妃は愚か側室さえも持たないと聞かされ、ファヨンはその、王が選ぶと思われるある妃候補の娘の顔を思い浮かべた。
 たかが医者の娘に宰相の娘である自分が劣ってはならない。妃に選ばれることのなかった妃候補の未来を想像するだけでおぞましかった。誰もがファヨンこそが第一位の妃となると信じて疑わない今回の妃選びであったはずだ。それが…。
 事の深刻さを理解したファヨンに、兄はある物をこっそりと手渡した。それは匂い袋と手紙。匂い袋の方は覚えのある香料が入っている。その匂いは、それこそ王が妃にと望む医者の娘ミンが常日頃身に纏っている匂いだった。そして渡された手紙の中には、ある禁呪が掛かれていた。
 代々、ファヨンの生家は王家と深いつながりがある家系だった。王女が降嫁したこともあれば、王族に嫁いでいった娘もいる。当主は王の近しい場所に居ることが常だった。なので、星見の話も聞いたことがあるし、王家に伝わる古い呪術の類の事も知っていた。
 渡された手紙に書かれていた禁呪は、おそらく兄がどうやってかは知らないが、見つけ出した術の一つなのだろう。それを使えば一晩だけ自分の姿を、たった一人の相手にだけだが姿かたちを変えて本人であると認識させることが出来るという現身の術だった。
 ファヨンは迷うことなくその術を使うことにした。
 王はファヨンをミンと思い込み、星祭りの夜、ファヨンをその腕に抱いたのだ。
 結果、王の妃は同列で二人、となった。

 妃となったはずのファヨンであったが、王はおそらく術の事を後で知ったに違いなかった。
「妃としては扱う。だが、妻としてあなたを求めることは無いだろう」
 王から宣言されたその言葉に、ファヨンは茫然とするしかなかった。
 確かに妃となった。でも、ただそれだけだった。王はファヨンとの間に子を成すことは少しも考えていなかったのだ。当然、王の最初の子はミンが産んだ。王女であったことに安堵はしたものの、この国は女王の即位も認めている。この先、ミンに子が出来なかった場合、生まれてきた王女が王位を継ぐことになる。それはファヨンの矜持を傷つける事であり、なおかつ時期宰相である兄の野望も砕け散ることになるだろう。
 しかし、肝心の王がファヨンに関心を持つことは無かった。
 王から宣言されたことは他の誰も知らない事だった。どうしてよいか悩んで悩み抜いて、そうして出逢ったのが星見であるその人だった。

――身ごもってみますか?

 子を宿す。そのことをあまりにも簡単に口に出した星見に最初は怒りを覚えた。しかし、自分には跡がないのだ。身ごもるすべがあるならば何でもやってみなければならない。ファヨンは星見の手を取った。



「星見の手を取ったその時。私は大切な記憶を思い出した。あの方は私のために〈人〉の姿をこの世に創り出してくださった。それが星見。何の迷いがあろうか。〈人〉の世であの方の子を産む。その子は〈人〉の世に落とされた〈神〉である青帝からその証を奪い取る存在になる。先代の星見が引き継いだ予言はそのことを現していた」
 ファヨンは己の手の中にある玉をきつく握りしめた。
「それなのに、小賢しいことにあの娘が私の記憶を再び封印した。この玉を使って」
「炎帝の玉を使って…?」
 ハヌルが声を震わせつぶやく。
「あの娘は、すべてを思い出した私の目の前に現れ、しかるべき時までその記憶を封印すると言った。あの娘と一緒に王女であるヘミョンもいて、ヘミョンはこの玉を取り出したかと思うとあの娘に触れさせたのだ。その瞬間に、私はあの方のことも、神々の事も、すべての記憶を封印され、この国の妃である〈人〉として過ごさねばならなくなった。今の〈人〉として生きてきた私。王宮に入り妃となった私。夫である王から見向きもされず、それでもこの国一番の妃であり国母となるべく期待されるがゆえに王以外の種で孕み子を産み落とした私。私の封印された記憶を解き放つためにはこの玉に触れる必要があった」
 東の皇太后は自分が産んだ星見との間にできた息子…王を見る。
「この術の仕組みはあの方が私に教えて下さったものの一つだった。過去の…前世の記憶を呼び起こしてくれたあなたには感謝しなければ。おかげで今のこの〈人〉の世での記憶もすべて何もかも取り戻したのだから」
「そうか、それは良かった」
 王もうっすら笑みを浮かべ東の皇太后に返事を返した。
「さて、それですべてを思い出したわが母上は…何をなさるおつもりで?」
「決まっているじゃない。青帝の持つ証しを寄越しなさい。私はこれであの方の元へ…〈神〉となって天界へ行けるのだから」
 狂気。そう表現するのが正しいのかどうか。東の皇太后の目を血走り、その目でシンを射抜くように見つめた。
 しかし、シンとて自分の持つ守護の証しを素直に差し出すわけがないのだ。
「この玉がどうなっても良いの?炎帝の証しが本人に戻らねば、王女はその身体に元々受けていた呪いを跳ね返すことが出来ずに死に至る」
「どういうことだ」
「炎帝の朱雀は長命を司る一族。その加護があればこそ、〈人〉である今の我が兄が施した呪いを跳ね返すことが出来、なおかつ西王母に仙力を分け与えることが出来たのだ。その証である玉が今は私の手の中にある」
 先ほどからハヌルに介抱されているヘミョンは起き上がることもできずに苦しげに呼吸を繰り返している。
「青帝。そなたの持つ証しを私に寄越しなさい。そうすればこの玉は炎帝に返そう」
「…駄目です…!」
 ハヌルが震える声で東の皇太后を遮る。
「その玉こそこの〈人〉の世にあって青帝たるものの証し。ありとあらゆる〈人〉が造り出す災いをはねつけるもの。それを手放してしまわれたなら、記憶を持たない王太弟殿下は今も与え続けられている呪いを一気にその身に受けてしまわれる…」
 シンは此処までの話を理解しつつも、みんなの言う「自分が青帝である」ということを思い出せていない。それ故に、目の前で苦しむ姉を救うためには自分の持つ玉を差し出すしかないことも理解はした。したのだが。
「王太弟。私はそなたの質問に答えた」
「何?」
「四神が証しであるこの玉がすべての呪いを跳ね返している…と。跳ね返された呪いはどこへ行ったのか。未だ我が一族が健在であるということは、その呪いや災いはあなたたち姉弟の血に連なる誰かが代わりに受けている…ということ。かつては先王がその身に受けていたようだけど…」
「な…!」
「先代の星見が先王に授けた守護神である玄武は、長寿と不死を司るもの。そなたたちがはじき返した呪いをその身に受け、〈人〉でありながらあそこまで生き抜けたのは流石であろう。つまりは、私が先王の死に関わっていたのではなく、そなたがはじき返したものによってその寿命を縮めただけの事」
 顔面蒼白でシンは東の皇太后を見つめている。そこに王が口を挟んだ。
「哀れ。シンよ、そなたが青帝として早くに覚醒していればこのような事にはなっていなかったかもしれぬな」
 王の言う通りなのかもしれない。
 シンは自分の胸に手を当て、そこに感じる己の守護の証しをどうするか考えた。





2021-06-06 (Sun)

【夏宵奇譚】第30章

【夏宵奇譚】第30章

【第30章 断罪】「王陛下、東の皇太后さまが間もなくこちらへお渡りになると先触れが参りました」 執務室の外に控える内官の声が聞こえる。「わかった」 王はそう返事を返すが、その視線はシンに向けられたままだ。 部屋の外の音が聞こえていることにドンソクもようやく気付く。「結界を解いたのか…」 ドンソクの小さなつぶやきにハヌルは気づき、そちらを振り返る。そして小さく首を横に振った。「解除せざるを得ない力が...

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【第30章 断罪】

「王陛下、東の皇太后さまが間もなくこちらへお渡りになると先触れが参りました」
 執務室の外に控える内官の声が聞こえる。
「わかった」
 王はそう返事を返すが、その視線はシンに向けられたままだ。
 部屋の外の音が聞こえていることにドンソクもようやく気付く。
「結界を解いたのか…」
 ドンソクの小さなつぶやきにハヌルは気づき、そちらを振り返る。そして小さく首を横に振った。
「解除せざるを得ない力が働いたのです。あのままだと私が持ちませんでした」
「どういうことだ?」
 ハヌルにも確かなことはわからなかった。もしかしたらと思い当たることはある。自らを百花の精霊だと告白した王の力。南斗星君から与えられた力など、天界に住まう精霊の物に比べればほんのわずかでしかない。まさか…本当に王は百花の精霊が一人だというのか。確かに星見の予言には「百花の王は百の花を咲かせる」とある。が…。
 ハヌルは星見であるが〈人〉だ。これまでの星見もそうだった。唯一の例外は先代の星見であるが、彼から引き継いだ記憶は歴代の星見の〈星見〉としての記憶のみ。天界で起こったことは紫仙女に関することしか知らない。百花仙子やその精霊に何があったのかははっきりとはわからないのだ。
「王陛下。東の皇太后さまがお待ちでございます…が、王女殿下もこちらに参られておりまして。いかがいたしましょう」
 再び内官の声が聞こえる。
「姉上…いや、炎帝もこちらに来るようだ。どうする?」
「姉上の事も知っているのか」
「当然だ。この王宮で〈人〉とは違う力を持っている者はすぐにわかる。西の皇太后の飼い猫、あれも天界に関係しているな」
 シンの片眉が動く。
「先ほどの質問の答えは後で聞かせてもらうとするか。まずは顔合わせと行こうじゃないか。かつて天界で起こった事件を知る者とその関係者の顔合わせだ」
 王の表情が醜くゆがんだ。
 執務室の外が騒がしくなる。どうやら部屋の前で東の皇太后とヘミョンが鉢合わせて、どちらが先に王の執務室へ入るかもめているように聞こえた。
 シンは深く息を吐きだした。
「いいだろう。この機会に俺も東の皇太后には聞きたいことがある」
 シンの言葉を聞いて、王はドンソクに二人を部屋に招き入れるように命じた。
 ドンソクが執務室の扉を開ければ、まさに目の前で言い争う東の皇太后とヘミョンの姿。
「王陛下がお二人とも中へ案内するよう申しております」
「何ですって?」
 東の皇太后のきつい視線と険しい声に一瞬ひるんだドンソクであったが、すぐに落ち着きを見せて扉をさらに大きく開け道を開けた。「どうぞ。中で王陛下がお待ちでございます」
 頭を下げるドンソクの前を、東の皇太后が颯爽と通り過ぎる。その後ろに続いて王女ヘミョンが通り過ぎた。



時刻は少し前に遡る。

 後宮から正殿に向かうために、ヘミョンはまずヒョリンからそれなりの服を借り受け、紅を唇に差した。王に会うのに女官姿ではまずい。王女らしく見せるために身なりを急いで整えると正殿へ向かった。
 先触れを出すこともせず、いきなり正殿へ姿を見せた王女に近衛たちは慌てた。正殿に仕える内官たちも突然の王女来訪に顔色が悪い。
 その中の一人を捕まえて、先触れもなく来たのはまずいがなぜそんなにも慌てるのか問い詰めると…。
「東の皇太后さまがおいでなのです」
 なるほど。ヘミョンは彼らの色々を察したがそのまま足を執務室のある方に向けた。
「王女殿下!」
「東の皇太后様がいらしても問題ありません。私が無理に王に会いに来たのです。私を止められなかった貴方たちに罰が下るようなことはさせないから安心して」
「しかし…」
「くどい!」
 王女に睨まれた内官は蛇に睨まれた蛙のごとくその場で硬直してしまった。ヘミョンはそんな内官に背を向け、さらに正殿内を進んでいく。やがて、王の執務室がある前室に辿りついた。その部屋の中から東の皇太后とお付きの女官と思しき声が漏れ聞こえてくる。その二人の声にこたえるように内官がなにやらうろたえたような声も漏れ聞こえた。どいうやら王に取り次ぎがうまくいかないことで東の皇太后が責めているようだった。
 ヘミョンは迷わす前室の扉を開けた。
「随分騒がしいのね。部屋の外まで声が漏れていましてよ」
「王女…!」
「王女殿下。どうされましたか」
ヘミョンが来ることを聞かされていなかった内官が慌てた様子でヘミョンの元に歩み寄る。
「王に会いたのだけれど」
「それが…王はなにやら取り込み中のようで…」
「その様子だと約束も何も取り付けていないようね。いくら王女で姉と言えど、この国の王に対して無礼なふるまいではなくて?」
 内官の返事を遮り、東の皇太后が口を挟んできた。
「いくら王の母と言えど、ここは王の執務室前。はしたなくも大声で話されるとは品格を疑われますわよ」
「なっ…!」
 東の皇太后と王女。二人の間に火花が散る。東の皇太后付きの女官も、ここに居る内官も、二人を止めるすべはない。
「内官!」
「は…はい!」
 東の皇太后が苛立った声を内官に向けて放つ。
「先触れも出しているのです。私をいつまで待たせるつもりですか。すぐに王に取り次ぎなさい!」
「あら、私が来ていることも伝えて頂戴」
 二人の王族に逆らえるはずもなく、内官は執務室への扉を叩いて声を上げる。
「王陛下。東の皇太后さまがお待ちでございます…が、王女殿下もこちらに参られておりまして。いかがいたしましょう」
 少しばかりの間があって。執務室の扉が開いた。
「王陛下がお二人とも中へ案内するよう申しております」
 ドンソクが中から顔を出した。
「何ですって?」
 東の皇太后はヘミョンも一緒に王の執務室に入ることを促されたのが不満なのか、ドンソクにきつい視線と険しい声を浴びせる。一瞬ひるんだドンソクであったが、すぐに落ち着きを見せて扉をさらに大きく開け道を開けた。
「どうぞ。中で王陛下がお待ちでございます」
 東の皇太后がまず先に歩き出し、そのすぐ後ろをヘミョンが歩く。次に東の皇太后付きの女官が後に続こうとしたのだが、扉の手間でドンソクが彼女を止めた。
「お付きの女官はこちらでお待ちを。王陛下は女官の入室を許可しておりません」
 戸惑う女官の目の前で、執務室への扉は再び閉じられた。

 東の皇太后は執務室内の光景に思わず息をのんだ。ヘミョンと言えば、あらかた想像がついていたからか、たいして驚きもせずに、シンの姿を見つけるとゆっくりとそちらに近づいた。
「これは…どういうことです」
 東の皇太后は居並ぶ面子を見て思わずつぶやいた。
 王とドンソクしかいないと思っていた室内には、王太弟であるシンと星見であるハヌルがいる。それに、急に王に会いに来たと言うヘミョン。
「今度は私が、この部屋に邪魔が入らないようにしよう」
 王がそう言うと、自分の右手をさっと振った。すると、あの小さな耳鳴りがまたこの部屋の中に居る者たちに襲い掛かった。
「星見の結界…!」
 ハヌルは、自分と同じ力を操れる王を凝視した。なるほど、星見と同じ力が仕えるなら、先ほどハヌルの結界を強制解除するように仕向けたのも王だと納得がいく。精霊の生まれ変わりであり、先代星見の血を引いているのだ。
「何をしたの?」
 東の皇太后も結界が張られた気配を感じ取り、目の前に立つ王に震える声で尋ねた。
「母上。ここに居るのは私の出自について知る者です。そして、星見の予言を知る者でもある」
 東の皇太后は息をのむ。
「母上が犯した罪について…知る者であることも」
 王の言葉によって、東の皇太后は立つ力を失い、その場に頽れた。
「貴女はその罪を認めなければならない」
「貴方はこの国の王です。先代の王からその位を受け継ぐことを許された王なのです」
「ええ、そうです。私は父上からこの国の王であることを許された。良き王であるよう勉学に励み、弟であるシンと共にこの国を導いていくことに何の疑問も持たなかった。あの、星祭りの夜まで」
 あの星祭りの夜、王に謀を仕掛けたことが明るみに出たのだ。それはきっと、今この部屋に居る西の皇太后の子供たちの手によって暴かれたに違いない。
 東の皇太后はそう判断し、すぐに頭の中を整理した。王が言う自分が犯した罪とは、その星祭りの夜に妃候補のミリをチェギョンに見立てた謀の事を指しているのだ。結果、彼女は第一位の妃となる約束を手に入れた。王が妃にと望んでいたチェギョンを遠ざける結果となったことに不満を抱いているのだ。ならば、譲歩案を出せばよい。
「あ…貴方のためを思ってしたことです。あの子は貴方の妃にはなれないかもしれませんが、側室として召し抱えるならなんの問題もないでしょう」
 王は座り込む東の皇太后の前に歩み出て、その目線に合わせるように自らも膝をついた。
「母上…王たる私の妃についてはすでに決定事項を提出済みです。それに、何か思い違いをされているようですが。貴女の犯した罪とはそんな可愛らしいことではありませんよ。その罪のおかげで、私は王太弟であるシンに命を奪われそうになっているのですからね」
 薄っすらと笑みを浮かべるその表情。その目元が彼にあまりにも似ていることに気づき、東の皇太后は思わず目を見開いた。
「貴女は自分の罪を思い出さねばならない。思い出せないから、いつの世も自分の想い人は自分以外の者を愛するのですよ…ファヨン」
 
 目の前のこの男はいったい誰だ?

 西の皇太后は自分が産んだはずの、この国の王である男の顔を凝視した。そして母である自分をその名で呼ぶ声。何かを思い出しかけていた。
 途端に、記憶の濁流が自分の頭の中を襲う。

――ならば…。身ごもってみますか?

 その声の持ち主は先代の星見。

――私が先代の星見から引き継いだ予言の中に、まだ実現されていないものがあるのです。私の子が、この世に生まれる…と。

 そうだ、あの時星期の手を取ったのは紛れもなく自分の意思。

――本来ならばこうして出逢うこともなかった貴女が、あの日の夜、どうしてか術に惑わされることなくここにやってきたのもまた運命。そうは思いませんか?

 運命だと言われて、差し出されたその手を取らねばならないと、なぜかあの時そう思ったのだ。

――ご安心ください。貴女は妃です。貴女はこの国の王子を産むのです。

 王も知っている…あの星見はそう言った。知っていて、あの王は何も言わず、何も検索せず、間もなくその命が消えると分かっていて、西の皇太后が産んだ自分の子ではなく、星見の血を引いた、今目の前に居るこの者を王太子に指名した。
 あの時は、ただわが子が王太子となり、いずれはこの国の王となる、その事だけに気持ちがあり、深く考えることもしなかった。
 なぜあの王はシンを…王太子に指名しなかったのだろうか。いや、それ以前に、こうして自分の罪を問いただされたことがあったのではないか?それはいつ?身ごもったと告げた時のあの王の前でだったか?それとももっと前…。

 東の皇太后はその表情をどこか遠くを見るように呆けさせる。記憶の濁流は今の人生よりもっと前の物を運んで来る。そして、その濁流がやがて最も古い記憶を運んで来る。

「…桃の宴…天帝…西王母…北斗星君…」
 
 東の皇太后の口から天界にまつわる言葉が発せられたことに対し、彼女の目の前に居る王は目を細め、その後ろに立っているシンとヘミョンは驚きで目を見開いている。ハヌルは軽く天を仰ぎ目を瞑る。ドンソクは己の拳をきつく握りしめていた。

「…私は…」
 目の焦点が合い、東の皇太后は今目の前に居る王の顔をまじまじと見る。
「思い出されたか。たかが〈人〉の分際で神になろうとした己の愚行を」
「だって…神殺しこそが〈人〉が神になる唯一の方法だとあの方は教えてくれたのよ」
「貴女は神になって何がしたかった?」
「ずっと…美しいままでいたかった。ずっと…天帝の元であの方に愛されたかった」
「貴女のその我儘な願いのために、天界は混乱に陥り、私の愛する人も〈人〉としてあまた多くの人生を歩まねばならなくなった。もっとも、こうして私が〈人〉として生まれ落ちることが出来たのは貴女がいたからこそ…ですが」
「あなたは…何者?」
「何者であるか、それは貴女がよくご存じでしょう。先王を手に入れたくともできず、この国の権力を握ることでその憂さを晴らそうとした結果、先代の星見と通じ、その誘いに乗り、王の子と偽って私を産んだ貴女が!」
 王の手が東の皇太后の首を掴んだ。
「貴女は、いつの世も、愛されることはできない存在なのですよ」
 王の手に力が籠められる。東の皇太后は苦しげにうめき声を上げた。
「いけません!」
 その叫び声と共にドンソクが王と東の皇太后の元に駆け寄り、王の手を力づくで振り払った。
 東の皇太后は激しく咳き込み、その場に倒れた。
「王陛下!あなたは何者であったか、その過去の事は詳しくは知りませんが、今の貴方はこの国の王であらせられる。〈人〉として生きておられるのです。東の皇太后さまの過去の罪が何であれ、ご生母をその手で殺めるなど…あってはなりません!」
 必死の形相のドンソクに王は少しばかり驚いた表情を見せたが、うっすらと笑みを浮かべると立ち上がってシンの方を向いた。シンは、今目の前で繰り広げられていた出来事に、何もできず、ただその場に立っているしかなかったのだ。
「シン、お前も彼女に聞きたいことがあると言っていたな。すべてを思い出した今なら、質問の内容によっては知りたい答えが返って来るやもしれぬぞ」
 王が自分の出自を知っていて、それを問い詰めていたことはわかった。だが、肝心の東の皇太后本人の口から、それを聞いていない。隣に立つヘミョンは顔を青ざめさせ、微かに震えているのが分かった。
 シンは、何も疑ってなどいなかった。兄が父亡き後、王位を継ぎ、自分が王太弟となるのも。
 それが、父王が崩御し、最初の星祭りを間近に控えたある時だった。東の皇太后一派と反する派閥の誰か噂している…と聞かされたのだ。「現王は先王の子にあらず」
 まさか、そんなはずはない。あの優しく賢い兄が父王の子でないとは。
 素直すぎたシンは母である西の皇太后に噂の真意を問いただした。西の皇太后は寂しそうに笑みを浮かべて言ったのだ。「亡くなられたあなたの父王は、きっと貴方を護りたかったのです」と…。
 肯定も否定もしない西の皇太后に詰め寄るも、彼女は真実を語らず。
 そしてやってきた最初の星祭り。その儀式の場で星見から守護の証しについて聞かされ、兄である現王はその証を持っていないことを知らされた。
 そこからシンはずっと機会を窺っていたのだ。
 真実を明らかにする機会を。

「東の皇太后。貴女に聞きたいことがある」

 シンの声が結界の張られた王の執務室に響き渡った。
2021-05-23 (Sun)

【夏宵奇譚】第29章

【夏宵奇譚】第29章

【第29章 天界草子】 世界にはまだ〈人〉が存在しない、はるか昔の物語。 神々の頂点に存在するは、天界を統べる天帝。天界に存在するすべての物には精霊が宿り、天帝の庇護の元、天界の神々と共に穏やかに暮らしていた。 ある時、水の神が池を鏡にし己の姿を覗き込んでいると、その頭に差してあった櫛が池の中に落ちてしまった。その櫛を拾い上げようとしたのだが、櫛はどんどん深く潜り込み、そのまま天界の下へ落ちてしま...

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【第29章 天界草子】

 世界にはまだ〈人〉が存在しない、はるか昔の物語。
 神々の頂点に存在するは、天界を統べる天帝。天界に存在するすべての物には精霊が宿り、天帝の庇護の元、天界の神々と共に穏やかに暮らしていた。
 ある時、水の神が池を鏡にし己の姿を覗き込んでいると、その頭に差してあった櫛が池の中に落ちてしまった。その櫛を拾い上げようとしたのだが、櫛はどんどん深く潜り込み、そのまま天界の下へ落ちてしまった。
 天界の下層には嵐吹き荒れる水しか存在しない混沌とした世界があった。そこに水の神の櫛が落ちると巨大な水柱が立ち、その滴が小さな島を生み出した。
 これは面白いことが起こった。
 水の神は天帝にこの事を知らせた。すると天帝は土の神を呼び、その小さな島をもっと大きくするよう命じた。土の神は大きな島を一つと、中くらいの島を三つと、小さな島を五つ造り上げた。
 次に天帝は風の神を呼び、雲を作り雨を降らせた。それから花の神を呼び、草木を島に生やすことにした。花の神は、その草木は天界にある物と同じように創り出そうとしたのだが、元からあった水に塩が含まれていたため、まったく同じものは生やすことが出来ず、姿かたちを似せた物になった。
 しばらく様子を見ていると、その島々は山が出来て川も流れ、緑豊かな土地となった。そこで天帝は最後に、その豊かな大地の住人として〈人〉を創った。
 神々は自分たちが造り出した新たな世界と、そこで営みを重ねていく〈人〉の行方を最初はただ傍観しているだけだった。神々の力の影響を受けずに、その〈人〉はどのように生きていくのか、ただ眺めているだけで面白かったのだ。
 神々が己らを創り出したことも知らず〈人〉はただ安寧に日々を暮らしていた。やがて、神々は〈人〉から興味を失いつつあった。そこで、天帝は天の北極を管理する神を呼び出し〈人〉にある知恵を授けるよう命じた。
 それは神々は理解している事であるが、神々が造り出した世界とその住人である〈人〉には無かった知恵。それぞれは違いを持ち、その違いを認め磨き上げることで、互いに差をつけることが出来る知恵。
 かつて、天界では神々が互いを主張し合い大きな戦が起こり、多くの精霊が失われ、多くの物が失われた。それもまた神々は生まれながらにして持っていた【知恵】と言うものが原因だった。その戦に勝利し、この広大な天界を統べるのが天帝であり、その他のすべての神は戦がもたらす不条理さを学び、天帝に従うことになったのだ。
 天の北極を管理する神は、その例を上げて天帝に尋ねた。

――〈人〉も我々神と同じように学ぶことはできるのか?

 天帝は「わからない」と答えた。わからないからこそ楽しいのだ、と。〈人〉には神々の持つ力のようなものはなく、その寿命もほんのわずかしかないように創った。そこに知恵が加われば、どのように彼らは生きていくのか。それが元でせっかく創った〈人〉が滅んでもそれは仕方のないこと。ただ、我々が造り出し与えたあの美しい水と空気と大地を汚すようであれば、創造神である天帝がその手で〈人〉を滅ぼす…と。
 天の北極を管理する神は頷き、九つの島に暮らすそれぞれ一組の番となりうる〈人〉に知恵を与えた。そしてさらに、大きな島には天界と同じく【四季】を与え、中くらいの島三つにはそれぞれ【一年の半分は夜が訪れても日が沈まない島】【昼は暑く夜は寒い砂だらけの島】【一年の半分は雪と氷に覆われる冬と一年の半分は灼熱の暑さで覆われる夏しかこない島】に造り替えた。さらに小さな島五つは【四季はあるが嵐が起こりやすい島】にし、そのうち二つを大きな島の側に、残り三つを中くらいの島の側に配置した。
 神々の興味は再び〈人〉に向けられた。
 知恵を持った〈人〉はそれぞれの島でそれぞれに生きていくための知恵を増やしていく。やがて〈人〉は与えられたそれぞれの島では満足できず、他の島を手に入れようと戦いを起こした。まずは中くらいの島の一つがすぐ近くにあった小さな島の一つを無理やり自分たちの物にした。ただでさえ短く儚い〈人〉の生を、同じ〈人〉である者が奪い去る形でそれは行われたのだ。

――〈人〉は愚かだな。

 天界から人間界を眺めていた天帝がぽつりとそう漏らせば、ともに眺めていた他の神々も大きく頷いた。
 中くらいの島で起こった奪い合うための戦いはやがて大きな島へと向けられた。さすがにこのころになると、天帝も〈人〉の行いに眉をひそめるようになる。天の北極を管理する神は、自分が与えた知恵によって〈人〉が自ら滅びの道へと向かうのを良しとしなかった。彼は天帝に申し出る。

――〈人〉に知恵を与えたのはやはり間違いだったと思わざるを得ません。しかし、その〈人〉の中にも愚かさを知り、愚かさを認め、愚かであることをさらけ出し、物事を考えようとする者たちがいます。

 すると天帝はしばし考えたのちにこう言った。

――ほんの少しの希望にかけてみよう。我々が造り出した〈人〉の世界をこれからも継続できるかどうか。創造神である我々を信じることが出来るか否か…。

 しかし、愚かな〈人〉はついに、同じ〈人〉の命を奪う事を知ってしまった。それまでは持ち物を奪うだけの争いだったのに、それは偶然にも起きてしまった出来事。
 奪おうとする〈人〉に対し、守ろうとする〈人〉。奪おうとする〈人〉が無理やりそれを取り上げようとしたはずみで、守ろうとした〈人〉を転ばせてしまった。さらに転んだところに手近にあった鋭利なものをその胸に突き立てた。そこが〈人〉として命を司る大事な場所であるとは知らず、ただ衝動的に、そこに突き立てたのだ。
 守ろうとしていた〈人〉は自らの寿命を使い切る前に命をなくした。
 これが、〈人〉が〈人〉の命を奪う最初の行為になり、さらにそれを知った〈人〉は同じ方法で次々と〈人〉の命を奪う言事によって欲しいものを手に入れる方法があることを知ってしまった。

――愚かなり、そして哀れなり。

 〈人〉に知恵を与えることで己の楽しみを継続させることを願った神々、〈人〉に知恵を与えてしまった神は憂うしかなかった。
 すでに〈人〉は、神々の範疇を超え、己の意思でその世界に根付いていった。

――天帝よ。〈人〉はすでにわれわれの手を離れ、独自にその文化を形成しつつある。神々が与えた物を我が物顔で使い、己の物であると主張し、欲しい物があれば戦と言う名の元、その命さえも奪い去る。そんな醜い生き物になってしまった。

――しかしすべての〈人〉がそうであるともない。ほんのわずかの希望が…それ。

 神々の一人が人間界を覗き込む。そこには戦を嫌い何かにすがるように祈る〈人〉の姿があった。

――ほんの少し…か。それにしても我々が造り出したあの世界はあまりにも汚れすぎた。

――創造神たる我々が介入するか?

――それもやむをえまい。少しばかりの希望は育たなかった。これが最後の機会だ。

 天帝をはじめとする〈人〉の世界を創り出した神々は、初めてその地に降り立った。
 夜の闇を昼の用に照らし、嵐を避け風の音をふさぎ、〈人〉がどの島に居ようとも同じように神々の姿と声が届くように。


――〈人〉よ、良く聞け。我々はお前たちの創造神である。己の物を奪い合うこの世界を我々は造り直すことに決めた。そこにうぬら〈人〉は存在しないと思え。


 突然現れた者たちに〈人〉は驚きと共に嫌悪を抱く。創造神?この世界を造り直す?何を言っているのだ。戦に明け暮れている〈人〉は、遠くからでもその命を奪えるための道具をすでに手にしていた。防具も何も身につけてはいない、そんな〈人〉の形をした突如現れた者たちめがけてそれは放たれる。
 しかし、それは神々には傷一つつけることせず、〈人〉が暮らす大地に大きな傷跡を残す結果となった。

――我々が造り与えしこの世界の物を、我が物顔で使い、なおかつ破壊するとは我慢ならぬ。今から七日後にこの世界は一掃され新しいものに造り替えられる。それまでの間、何をしようかお前たちに任せよう。その結果、この世界はこのままになるやもしれぬ。滅ぶが存続か、〈人〉であるお前たちが決めるがよい。

 創造神だと名乗る者たちを前にし、〈人〉は攻撃を与えてきた。それは神々にとって到底許されることではなかったのだ。七日間の猶予を与えられただけまだ良い。創造神が求める回答を導き出せばよいのだ。そう考える〈人〉はほんのわずかで、大抵の〈人〉は創造神など関係ない、この地は自分たちの物だ。これまでのように必要なものは奪い必要でないものは排除すればいい、そんな驕り高ぶった心の持ち主だった。

 さて、神々はそんな驕り高ぶる〈人〉の事は最初からわかっていた。なので、七日の間に神々を創造神と認め、何とかできないかと動く〈人〉にのみ再びその姿を見せることにした。

――今から言う山の頂上を目指すが良い。ただし、頂上までの道のりはたやすくはない。疑心が生まれた者はそのまま捨て置くが良い。七日後に我々が造り替えるこの世界の様を見てその先にある物を信じられる者のみに新たな守護を与えよう。


 そして、運命の七日後。


 創造神と名乗る者たちを攻撃するために、ありとあらゆる武器を携え待ち構えていた〈人〉は、どこからともなく聞こえる不気味な音をまず耳にした。
 その音が誰の耳にも聞こえるようになった刹那。
 地面の下から突き上げるような巨大な揺れが〈人〉を襲った。割れた地面からは炎が噴き上げ、空はたちまち厚い雲に覆われ嵐が巻き起こる。川は水かさを増し、山は崩れ、建物は嵐によって生まれた竜巻によって崩壊していく。もはやどこに逃げても助かる見込みはなかった。
 神の指定した山の頂上にその時までにたどり着いていた〈人〉が見た物は想像を絶する恐怖の世界だった。
 創造神と言うのはこれほどまでに恐ろしい力を持っている。逆らってはいけなかったのだ。自分たちは神によって存在を許されるか弱い生き物だったのだ。
 創造神の言った「世界の造り替え」は七日間続き、新しく生まれ変わった世界にはかつて〈人〉が暮らしていた痕跡は何一つ残っては居なかった。
 大きな島は三つ、中くらいの島は一つ、小さな島は三つ。
 変わったのは景色だけではなかった、気候すら馴染んだものではなくなっていた。
 生き残ることを許された〈人〉の前に、創造神は約束通り守護を携え現れた。

――同じ過ちを繰り返さぬよう、この世界を守護する神を遣わそう。太陽の通る道に沿って東方・北方・西方・南方の四大区画に分け、それぞれに四神を対応付ける。これらは東方青龍・北方玄武・西方白虎・南方朱雀と呼ばれるこの新世界の守護神たちだ。そして、いずれこの世界を取りまとめる新たな王が誕生した時には、その王を守護する黄龍を授けよう。

 守護神を信仰することで〈人〉は創造神に感謝の意を表し、再び同じことが起こらないよう誓った。
 そして〈人〉は新たな営みを紡ぎ始めた。創造神の与えた守護神はこの世界を常に守る存在として敬われ、〈人〉は祈りを捧げることで世界の不安をやわらげてもらうことにした。

 はるかな年月が巡り、それぞれの島には統率者が現れ、相変わらず〈人〉は愚かなことをしでかすこともあったが、世界を造り変えられるほどの過ちは起こすことは無かった。
 神の存在を忘れることなく、祈りを捧げ続けることで、世界は存在し続けているのだ。






2021-05-01 (Sat)

【夏宵奇譚】第28章

【夏宵奇譚】第28章

【第28章 黄仙女】 離宮、西の殿閣。 皇太后の私室はゆったりとした時間が流れていた。 ドンソク達三人がこの部屋に居た時はさすがに密度が濃い空間になっていたと思ったが、その三人が退席すると、この場はまたいつものようにひっそりとし、西の皇太后が膝上でソラをあやしながらチェギョンととりとめない話をしていた。 喉が渇いたということで、チェギョンが西の皇太后にお茶を用意した時だった。小さな耳鳴りがし、かす...

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【第28章 黄仙女】

 離宮、西の殿閣。
 皇太后の私室はゆったりとした時間が流れていた。
 ドンソク達三人がこの部屋に居た時はさすがに密度が濃い空間になっていたと思ったが、その三人が退席すると、この場はまたいつものようにひっそりとし、西の皇太后が膝上でソラをあやしながらチェギョンととりとめない話をしていた。
 喉が渇いたということで、チェギョンが西の皇太后にお茶を用意した時だった。小さな耳鳴りがし、かすかな耳詰まりを起こした。その不快感に思わず顔を顰めたが、皇太后の御前ということもあり、自分のその仕草を不快に思ったのではと、慌てて前を向いた。
 すると、西の皇太后も何かを感じ取ったらしく、こめかみに指を当てなにやら黙り込んでしまっている。さらにはソラまでもがその顔を上げ、辺りを警戒するように見渡していた。
「あの…」
 チェギョンが恐る恐る声をかけると、西の皇太后は弾かれたように顔を上げた。
「今の…皇太后さまも何かを感じられたのですか?」
「ええ、とても何か大きな力が弾かれたような…」
 チェギョンは足早に部屋の出入り口に向かうと、その扉をそっと押しやり顔だけを廊下に出して辺りの気配をうかがった。
「外はいつも通りです。何か起こったのであればそれなりに騒がしくなると思うのですが」
 何も変化がない状況を確認し、チェギョンは再び西の皇太后の元へ戻る。
「様子を見てきましょうか?」
 チェギョンの申し出に西の皇太后はゆっくりと首を横に振った。
「駄目よ。あなた一人で出歩かせるわけにはいかないわ。かといって事情を知らない女官を共につけるわけにもいかない。せめてヘミョンがいてくれたらよかったのだけど。騒がしくなっていないというならば、何か大きなことが起こったわけでもなさそうだし、しばらく待ちましょう」
「はい」 
 西の皇太后の言葉にチェギョンは不安ながらも頷くことしかできない。
 自分がもっと思い出せていたら良かったのに、と思う。紫仙女であったことの時だって、すべてを思い出せているわけではなかった。〈人〉である自分の事も、〈人〉として転生を繰り返している記憶はあれど、その記憶の中に肝心の天界へ戻るための条件が統べてあるわけではなかった。いや、その条件が後いくつなのかさえもわからない。
 ただ今思うのは。

「私は何度でもあなたに恋をする…」

 それが、必ず付きまとう運命ならば、なぜこうももどかしいのか。チェギョンは自分の胸のあたりをそっと押して目を閉じた。



 後宮。
 そこにヘミョンは居た。
 いつものように女官の格好で訪れたのは、ヒョリンの部屋だった。
 ヘミョンの正体を知っている女官が部屋の中へと案内する。部屋の奥ではヒョリンが椅子に座って冊子を読んでいた。
 ヘミョンがやってきたことに気づき、冊子を閉じると立ち上がって頭を下げる。案内してくれた女官はすぐにその姿を消した。
「ようこそおいで下さいました。ちょうどお茶の時間でしたわ。よろしかったどうぞ」
 ヒョリンは空いている椅子にヘミョンを座らせると、目の前の机にお茶を二つ用意した。
 ヘミョンがちらりと茶器を見る。
「誰か来客でも?」
「いいえ。現在の後宮で私を音連れる客などおりません。チェギョンさんは離宮へおいでのようですし」
「その割には、お茶はちょうど二人分用意してあったみたいだけど?」
 何かを探るような目線のヘミョンに、ヒョリンは笑顔を返す。
「貴女様がおいでになると分かっていたからですわ」
「何故?」
「ふふふ…。先ほどから炎帝様は質問ばかり」
 苛立つヘミョンに対し、ヒョリンは終始笑顔でゆったりとした態度。それがまたヘミョンの苛立ちを増幅させる。自分で入れたお茶を一口飲んで、ヒョリンはまっすぐとその視線をヘミョンに向けた。
「西王母様はその仙力を封印し〈人〉の世に降りられるためにかなりの年月を眠ることで過ごされ、それでも〈人〉としての形を維持することなく存在されている。言わずもがな、青帝様と紫仙女はすでに神としての生命は断ち切られ純粋に〈人〉としてこの世を生きている。星見はその体の中に南斗星君の一部を引き継ぐことで〈人〉でありながらこの世に存在し続けている。その他にも今のこの世には、あの事件にかかわった多くの者が存在している」
「あなた、西王母様がどんな姿で〈人〉の世にいらっしゃるか…知っているの?だって…ハヌルが言っていたのよ。貴女は西王母様がこちらにいらっしゃるのを知らなかった、と」
「そうですね。星見がどれだけ天界の事を知っているのか確かめる意味もありましたけど。あの時のハヌルの反応は私の想像通りだったので良しとしました」
「どういうこと?」
「先代の星見は北斗星君の分身ともいえる存在でした。彼がどれだけ今のハヌルにその記憶を引き継いだのかわからなかった。星見は〈人〉側でなければならない。天界で起こったあの時の事件を、天界側の記憶で知ることは避けねばならなかった」
「…やっぱり、先代の星見は北斗星君だったのね」
「いいえ、『北斗星君の分身ともいえる存在』です。本体はずっと天界に居ります。百花の王が間もなく花を咲かせます。それがわかったからこそ、北斗星君は最後の機会と思い、自らの小指の爪を切り落とされて〈人〉としての分身を創り出したのです。それにはもちろん北斗星君も力を貸しています。今の世にあの事件に関係する者たちが揃っているのは、あの事件がすべて片付くため、ですわ」
「ヒョリン…いいえ黄仙女。貴女はどうして〈人〉になったの?」
「この国に青帝が転生することを運命付けるため。天界で天帝様の元に四神が置かれているように、青帝が誕生するこの国に四神の伝説を植え付ける必要があったのです。〈人〉は星見を手に入れ、四神の守護も手に入れる必要があった、青帝のために。そのために私は〈人〉として行った事があります。王女殿下も守護神を持つ〈人〉として生まれたからには四神の伝説を学ばれたはずです」
「ええ、物心ついた時にはもう知識としてあったくらいよ。それに、この国に生きるすべての人間は四神を崇拝する神と認識し、各地に神殿を建て、それぞれの家にもこの王宮を真似て四方に四神の像を置いていると聞くわ。お妃教育の教本にもあったはずよ。四神の伝説となる【天界草子】の冊子が」
「その四神をこの国に広めたのは私です。私が誰よりも先に〈人〉としてこの国に降り立ったのは、天帝様よりその命を受けたからです」
「ちょ…ちょっと待って。色々話が絡み合って…。西王母様の娘である黄仙女がなぜそこまで?」
「天帝様にとって七仙女はあくまでも【西王母の娘】であり、ご自分の娘ではない、ということです」



――七人もいる娘のうちたった一人のために、そなたは人限界へ降りるというのか。降臨ともなれば、西王母たるその力をこの仙界へ預けていくことになるのだぞ。

――南斗星君は青帝のための導きを人間界に落とした。でも、紫仙女には何もない。せめて母たる私が…!

――仙女を統べるそなたが不在となればここも乱れるぞ!



「天帝様は西王母様を愛しておられました。それがたった一人の娘のために〈人〉の世に降りると言い、さらにそのために仙力を封印するという暴挙に出た。〈人〉の一生は神々から見ればほんの僅かな時かもしれませんが、二人がめぐり逢い彼の者が己の行いに気づくまで、どれだけの時を要するのか見当もつかない。愛する者を手放したくないのは天帝様も同じ。
 我ら七仙女は西王母様を母とする仙女でありますが、その正体は、西王母様が住まう崑崙山奥深くに広がる蟠桃園。その蟠桃園の最奥で九千年に一度結実する桃の木の下にある七色の水晶から作り出された精霊なのですよ。
 ですから、天帝様にとって〈人〉の手によって命を絶たれた紫仙女は【たかが娘の一人】なわけです。そして、青帝は【天界の四方を護る最強の守護神】であって、天帝様にとって欠けてははならない神々の一人。天帝様が北斗星君と南斗星君が出した、青帝が再び天界に戻ることの条件を受け入れざるを得なかった。
 そして、天帝様は終わりの見えない輪廻を強制的に解決するために百花仙子の事件を起こし、百番目の精霊が〈人〉として生まれるその時代で、すべてが巡り合うようにされたのです。それより以前に二人がめぐり逢いすべてを思い出し、彼の〈人〉が己の罪を悔い改めることが出来ればそれで良し。それが出来ずとも百番目の精霊が〈人〉として生まれるこの時代ですべてが終わるように…つまり青帝が天界へ戻ることが出来るように…」
「百番目の精霊…?」
「北斗星君が〈人〉に産ませたその子が、百番目の精霊。なので、北斗星君が分身を〈人〉の世に送り出したのはその理由もあってなのです」
「それってつまり…」
「そうですわ。貴女の弟君であり、この国の王たるお方が、百番目の百花の精霊です」
「なんと…いうことなの」
「単純な事ですわ。天帝様は西王母様を愛しておられる。西王母様が自らの手で創り出された、七色の水晶を守護石とする娘たちも大切に扱ってらした。そう、大切にね。だから〈人〉の手によって壊されたことに怒りをあらわにされたのも当然の事。でも、たかが水晶から作り出された精霊のために、その仙力を手放してまでも〈人〉の世に行って連れ戻そうとする西王母様を止めることが出来なかった天帝様は、自らの力を使って自らが作った神々と人の理に介入し、その期限を決められた。
北斗星君も南斗星君も、百花仙子様もその母御であられる百花の王様も私も、そして炎帝様…貴女様も、すべては最愛の西王母様と天界の守護神である青帝を再びその手に取り戻すための駒なのですわ」

 その時。ヘミョンとヒョリン二人同時に何かの気配を察し、その気配が感じられた方に顔を向けた。小さな耳鳴りがしている。
「…なに…これは」
「これは星見の結界が破られたものです。誰かが星見の張った結界を強制的に解除したようですわね」
「この王宮で星見の術を破れるのは西王母様くらいしか心当たりはないのだけれど。今は離宮の西の殿閣でお母様の元に居るはずよ。そもそも、あの方角は…王の居る正殿」
「星見が正殿に?いったい何の用で…まさか…」
「どうしたの、ヒョリン」
「考えられる理由は二つ。一つは青帝が目覚めたか。二つ目は…百番目の精霊として王が目覚めたか。今のこれは、普通の〈人〉には全くわからないものです」
「私が行って確かめるわ」
 ヒョリンはただの妃候補に過ぎずこの後宮から出て行くことはできない。この王宮である意味自由に動けるのは王女であるヘミョンだ。ヒョリンはヘミョンの目をまっすぐ見つめ、しっかりと頷いた。



2021-04-08 (Thu)

【夏宵奇譚】第27章

【夏宵奇譚】第27章

【第27章 王の条件】 ハヌルが長く深く息を吐きだした。それが合図となったかのように、王の執務室に居た他の三人はその身体を震わせた。 長い夢を見ているようだった。 それぞれの頭の中に直接流れ込んできた初代星見の記憶。初代星見から現在の星見まで引き継がれてきたその記憶を直接受け取ったのだ。ドンソクはあまりの情報量に体に異変をきたしたのか、込み上げてくる吐き気と頭痛にその場に座り込んでしまった。王も同...

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【第27章 王の条件】

 ハヌルが長く深く息を吐きだした。それが合図となったかのように、王の執務室に居た他の三人はその身体を震わせた。
 長い夢を見ているようだった。
 それぞれの頭の中に直接流れ込んできた初代星見の記憶。初代星見から現在の星見まで引き継がれてきたその記憶を直接受け取ったのだ。ドンソクはあまりの情報量に体に異変をきたしたのか、込み上げてくる吐き気と頭痛にその場に座り込んでしまった。王も同様に体調不良に襲われていたが、なんとか気力で持ちこたえているようだった。シンは一度、星祭りの翌日に正神殿で経験はしていたが、これはその比ではなかった。軽い頭痛で済んでいるのには個人差があるのではと思っていたが…。
「…ハヌル…。今の記憶がそうならば…俺は…」
 シンはあることに気づいていた。青龍の守護神を授けられるのは〈人〉である青帝。ならば、自分が持つこの青龍の守護の証しは…。
 シンは己の胸に手を当て祈る力を籠めると、いつものようにそこから青い光を放つ玉が取り出された。
 その光景を見た王が驚きで目を見開いたが、すぐに表情をゆがめた。
「それが…守護の証しか」
 王の低い声。ドンソクは痛む頭を軽く振り王の元へ駆け寄った。しかし、王はそのゆがめた表情のままドンソクを睨みつける。
「ドンソク。お前は知っていたのだな。守護の証しとはいったい何なのかを」
「王陛下…!私が知ったのは星祭りの日で…!」
「それでか…」
「王陛下?」
 王は視線をドンソクからシンへと戻した。
「今見た初代星見の記憶。このまま私が王であり続けるのなら、私の子に四神の守護は授けられないということになる。いずれにせよ、星見が青帝のために存在しているというのであれば、お前が生きてさえいれば良いこと。しかし、お前が生きていると私は王でいることが難しい様だ」
「何を…考えている」
 シンは自分の手の中にある玉を握り締め、自分を睨みつける王の視線を真っ向から受け止めた。
「青帝は何度でも〈人〉として生まれ変わる。もう一人の〈人〉と出会うために。青帝のための予言はすべて果たされていないようだ。そうだな、星見よ」
 シンから視線を外さないまま、王はハヌルに呼び掛ける。その声にドンソクがハヌルを振り返った。
 ハヌルは表情一つ変えることなく大きく頷いて見せた。
「百の花は…いまだ咲いてはいない」
 ハヌルのその言葉を聞いて、王は不適の笑みを浮かべた。
「今世の青帝はもう少しその命があるようだ。そして、その命が尽きたとしてもまた生まれ変われる、〈人〉として…な。初代の星見はどこにいるかわからない青帝を探し出してこの王宮に居たのだ。次の星見も青帝が〈人〉として生まれる時に代替わりするのであれば、先読みの力を使いまた青帝を探し出せばよいことだ。考えてもみろ。いくら王の直系に四神の守護が授けられるとは言え、それが青龍の物である確証は無いのだ。星見はまた待てばよい、青龍の加護を授けるにふさわしい〈人〉の誕生を」
「何を…言っている」
「守護を持たない王がいても何らおかしくはない。私は…父上に認められてこの国の王位を継いだのだ」
 ふ…と、シンの身体からわずかに力が抜ける。そうだ、シンがどんなにあがいたとしても、父であった先代の王は、東の皇太后が産んだ、今、自分の目の前に居る血のつながらない者を、自分の後を継ぐ者として指名したのだ。それは紛れもない事実。だって、病の床に居た父が、その口から発した言葉を、その場で聞いていたのは…。
「あの日。父上に呼ばれて私とお前が聞いたな。この私を次の王に決めた…と。つまりは、四神の守護を持つ者が王位を継ぐのではなく、王が指名する者が王位を継いで何ら問題はないのだ。星見の予言はこの王家の物ではなく青帝の物であるならそれを利用すればよいだけの事」
 王の目は見開かれ、狂気にも似た雰囲気が漂う。こんな王は自分の知る王ではない。ドンソクは目の前に居る人物に恐れを感じ取る。
「星見はこの先も誕生し続ける。〈人〉として生まれる青帝を探して。予言も続く。その予言を持つ星見を失わずに済む方法は…青帝が南斗星君の言う、もう一人の〈人〉、に出会わなければ良い。青龍の守護を持つ者も星見と同様に閉じ込めておけば良いのだ、この王宮に、その命が尽きるまで…」
 王は素早い動きでシンの服の袖をつかんだ。

「なあ…そうだろう…シン」
 
 初めて。
 初めてシンは目の前の王に恐怖を感じた。

「星見をこの王宮に止めているものは何なのか。それは代々の王しか知り得ないことだ。父上は私にだけ言伝た。お前は青帝の生まれ変わりかもしれないが、所詮は〈人〉であり、私の弟に過ぎない。妃は選ばれ、私の子が生まれる。その妃は百花の王が守護を授けた娘だ」
 
 シンは自分の服の袖をつかんでいる王の小指の爪が赤く染まっているのを確認した。その赤い爪がなぜか少しだけ膨らんだように見えた。その膨らんだ爪から何かが見えたような気がした。

「百花の王はすべての百花の精霊から守護を授けられた者で、仙界に在っては百花仙子の母である者。そして、人間界に在っては星見の母でもあった」

「なん…だって…?」

 シンも驚いたが、ハヌルもまた驚きで目を見開いている。

「星見が見せてくれた先ほどの記憶が、私の中で繋がった。王だけに言伝られた話はそういうことだったのか…とな。
 最初の星見が王宮に閉じ込めたのは、その先読みの力を欲した王が行ったことだが、ただ閉じ込めておくだけではいずれは逃げられていただろう。青帝がこの王家に生まれると分かるまでは、この広い世界のどこに青帝が生まれるかわからなかったのだから。だから、星見の母を王宮に連れて来て閉じ込めることにしたのだ。母を殺されると分かって逃げる親不幸者はいないだろう。
 当時の王はその母をどこに閉じ込めたと思う?」

 血走った眼を見せる王に、シンは息をのむことしかできない。
 星見ですら知らない王家の過去。もしかすれば、予言と同様にこの話さえ父王から教えられているのではと思っていた。だが、目の前のシンの反応はこの話について全く知らない事なのだと分かる。王は嬉々としてシンを見つめ続ける。

「星見の住処とされる正神殿だ。あの建物は池の中にあるが、その池は星見の母が作り出したものだった。星見の母はその首を当時の王によって切り落とされる瞬間に思い出したそうだよ。自分が百花の王であり、人間界へ落とされた百花仙子と百花の精霊を見つけ出すために自らその仙力を天帝に返し〈人〉として生きることを選択したのだと」
 
 王はくつくつと笑いながら話を続ける。 知らぬはずはなかった。
 自分の母である東の皇太后は、父王の寵愛など受けてはいなかった。公の場で西の皇太后と共に自分の妃として同列に扱ってはいたが、その寵愛は西の皇太后と…その子供たちに向けられていたのだ。自分とて母親は違えど王子であり、大事にされていたと、今でも思っている。しかし、どこかで父王は線を引いていたようにさえ感じる。
 病の床にあって、自分とシンを呼び寄せた父王ははっきりと言ったのだ。次の王はお前だ、と。シンは王弟として兄を支えよ、と。
 王として選ばれたのは自分だ。良き王となるために必死で勉学に励んだ。そして、王にしか引き継がれない、この王家の秘密も手に入れた。本当の守護神を持たないからと言って、王であることを辞めねばならないことなど、ないのだ。
 シンが青帝の生まれ変わりと言うならば、それを利用するのが、自分にとって、この王家にとって、この国にとって、最善の策と言えよう。星見は青帝を探し続け先読みをするのだ。その先読みこそが、必要なものである。

 ならば、話してもいいだろう。
 星見をこの王宮に閉じ込める「物」の話しを。

「当時の王は知っていたのだよ。南斗星君が初代星見の前に現れたように、当時の王の元へも天界より神の一人が降臨し、これからこの王家が歩む道筋について聞かされた。王家を安寧の元にこの国に君臨し続けるために先読みの力を手に入れねばならない事。手に入れたらそれを閉じ込める器を作らねばならない事。そしてそれは仙力によって作られる結界が必要である事。
 星見を閉じ込めておくための神殿の地下には、星見の母であり百花の王である者の首が埋められている。そうとは知らず、初代星見はこの王宮のどこかに人質に取られている母を想いながら青帝の出現を待ち続けたのだ」

「百花の王の…首…?」

「王宮の四方に守護神を置いたとされる、星見の記憶には少しばかり話を付け足そう。王の住処である正殿の地下には百花の王の胴体を、そこから四方に延びる王宮の端にそれぞれ百花の王の手足を埋めたのだ。それぞれ封印の儀を施され、朽ちることなく今でもこの王宮の地下に有る」

 人が倒れる音がした。ドンソクである。
 込み上げる吐き気を抑え込もうとし、身体を折り曲げ、そのまま姿勢を保つことが出来ず床に倒れ込んだのだ。ハヌルの表情も先ほどと変わらないように見えるが、その顔色は青白く、王によって語られる真実をどう受け止めればよいのか必死に考えていた。

「それぞれが線を結び、結界を創り出す。何人たりとも百花の王の封印を犯すことが無いように…だ。百花の王は、この王宮に結界を張るための贄となったのだ。そして、人間界に落とされた百花の精霊を特別神官として召し抱えるため、魂だけの存在となり〈人〉の世を彷徨い続けた。百花の精霊がこの人間界で咲かせた自分の守護花は、百花の王の身体に施された封印の儀のために必要な力となった。
 百花の王が作り出す結界は、星見をこの王宮…つまり、結界の外へ出すことが出来ないように張られている。百花の精霊が咲かせることが出来る天界の花…守護花は、その結界を保つための仙力となり、その仙力が枯れれば百花の精霊の〈人〉としての生も終わる。〈人〉としての生を終えた百花の精霊はめでたく仙界へ帰りつくことが出来るのだ」

「ひとつ、確認しても?」

 それまで星見としてこの場に居たハヌルだったが、王の口から語られる、自分も知り得ない情報に動揺したのか、その声はかすかにふるえていた。
 ハヌルからの問いに、王はゆっくりとそちらに顔を向けにやりと笑みを浮かべて見せた。
「初代星見を神殿に閉じ込めるための策を授けたのは…」
「星見であるそなたなら知って居よう。南斗星君と対になる神の名を」
「…やはり、北斗星君…なのですね」
「女官長であり特別神官であるスヨンは九十九番目の百花の精霊だと聞いている。百番目の精霊が最後。その最後の精霊の仙力が尽きれば、百花の王が作り出す結界は消滅する。そうすれば星見は自由になれる…が。それを私が…王が承諾すると思うか?」
 未だ、シンの服の袖をつかんで離さない王は、さらにきつく握りしめ強い力でシンの腕を引き寄せた。思わずよろめくシンに、どこか見下しているかのような視線を向けた。
「おそらく神は、百番目の精霊がその役目を終えるまでにすべてに片を付けるはずだったのだ。だが、人間も馬鹿ではない。星見の持つ先読みの力を持っているからこそ、この国やこの王家は無敵でいられるのだ。終わりが来ると分かっていて、いつまでもそれに従うわけがない」
「まって!」
 王の話をハヌルが遮った。
「百花の精霊のうち、一人だけは天界に残ったはず。百番目の精霊は〈人〉として転生はしていない。なのに…百番目?」
「すでに九十八人の百花の精霊は元の姿に戻った。神は天界に残っていた百番目を〈人〉の世に遣わせたのだ」
「百番目が誰か…知っているのですか」
「知っているも何も」
 そこで王はようやくシンの服の袖を離す。そして、自分の赤く染まった手の小指の爪を見せつけた。

「私だよ。百番目の百花の精霊は」

 シンもハヌルも、床にうずくまるドンソクも。まさかの告白に言葉を失うしかなかった。
「百花仙子を天界に呼び戻すためには百の花を咲かせねばならない。つまり、百番目である私が、百花仙子を迎えるための花を咲かせねばならない。そのために私は〈人〉の世に転生したのだ。もっとも、それを思い出したのは星祭りの次の日だったが…な」
 王の雰囲気がおかしくなったのもその時からだ。ドンソクは、それは王が星祭りの夜に茶ギョンではない者と一夜を過ごすことになったためだと思っていたが違っていた。さらに、星見に会いたいと神殿に向かったのも、思い出された自分の正体を確かめるためだったのだ。
「私は王として人の上に立つ事を知った。今更、自分の正体が百花の精霊であると知っても、天界へ帰れば天帝や百花仙子に仕えるただの精霊に過ぎない。しかも百番目だ。〈人〉は愚かだと神は言ったが、私はその〈人〉として王であり続けることを望んでいるのだ。私がこの世で王であり続けられる条件は、一つたりとも失うわけにはいかない」

 ハヌルは己の作り出した結界を解いた。部屋の外が騒がしい。その喧騒が先ほどまで結界を張っていたこの部屋が別の空間になっていたことを思い出させる。
「どうする、シン。ここで私を殺すか?」
 シンは必死に考えていた。
 父王の正当なる後継者として、その王座を奪い返そうと思っていた。しかし、自分が青帝の生まれ変わりであり、出会わねばならない人物を見つけねばならない。そうしないと、星見は…ハヌルはその役目を終えることが出来ない。様々な状況から言って、おそらく今回の人生がその時であろうと思われた。
 だが。シンは未だ覚醒していない。
 青帝としてこれから先の事を選ぶのであれば、王座を奪うわけにはいかない。かといって、青帝として、王につかまるわけにもいかない。

「立后の儀はもう間もなくだ。儀式を血で濡らすもよし、自らの身体を私に差し出すもよし。どちらでもいいぞ。青帝として覚醒していない今のお前は、百花の精霊である私に勝てるわけがないのだ」

 シンは悔しげに表情を歪ませることしかできなかった。
2021-03-21 (Sun)

【夏宵奇譚】第26章

【夏宵奇譚】第26章

【第26章 始まりの始まり】「これから私は女官のハヌルではなく、星見のハヌルとして話をします。ですからあなた方もそれぞれ真実のご自分としてお話しくださいませ」 ハヌルはそう言って深々と頭を垂れた。そして一呼吸おいて頭を上げる。その瞬間、ハヌルから威圧的な空気があふれ出た。 王は感じていた。正殿の面通し所で星見と会う時と同じ、あの威圧的な空気を。 ドンソクはハヌルが星見であると正神殿で知らされた時に...

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【第26章 始まりの始まり】

「これから私は女官のハヌルではなく、星見のハヌルとして話をします。ですからあなた方もそれぞれ真実のご自分としてお話しくださいませ」
 ハヌルはそう言って深々と頭を垂れた。そして一呼吸おいて頭を上げる。その瞬間、ハヌルから威圧的な空気があふれ出た。
 王は感じていた。正殿の面通し所で星見と会う時と同じ、あの威圧的な空気を。
 ドンソクはハヌルが星見であると正神殿で知らされた時に感じた、別の威圧的な空気に思わず飲み込まれそうになり、その身体が揺らいだ。おそらくこれが、本来の星見の持つ力なのだと、そう感じ軽い眩暈さえ起こる。ほんの数日前まで、自分はこの女官が星見であることすら知らなかったのだ。いや、もっと言えば、自分が信じてずっと仕えてきた王こそがその証を持たぬ者だということを知らずにいたのだ。
 シンはすべてを知っていると思っていた。幼いころから星見として認識し、母である西の皇太后の信頼も厚い、目の前に居るハヌルが。王やドンソクには話して聞かせ、自分には知らせていないことがある。何を信じればよいのかわからなくなっていた。

ハヌルがそれぞれの表情を確認し、一呼吸おいてその口から出た物言いはまさしく星見たるもので…。

「我が引き継いできたのは〈人〉の世で星見であった者たちの記憶。その中に神々の住まう天界での出来事に関する記憶は一切無い。それなのに、星見は常に青帝のための予言を残すことを義務付けられ、その予言が成就するのを見届けねばならない。最初の星見は自分にその力を与えた南斗星君様からじかにその話を聞かされた」

 ハヌルが話し始める。すると、王とドンソクそれにシンの頭の中に、何かが流れ込んできた。

「我が引き継いだ初代星見の記憶を見せよう」

 
 最初の星見が生まれたのは、商いをしてはいるが裕福でも何でもないごく普通の家だった。生まれたわが子の手の小指の爪が真っ赤に染まっているのを見て、両親は何か悪い病でも持って生まれたかと不安になっていた。何人かの医者に見せるも、原因はわからず病であったとしても何の病なのかは全く持ってわからないとのことだった。そこに一人の男が現れた。
 南斗星君である。
 自分の体の一部を〈人〉の世に落とし、その後をたどってきたのだと言った彼の言葉を、両親は信じられない思いでさらに不安になった。
 南斗星君は、自分の力を分け与える形で生まれてきた子は星見という特殊な力を持つ者だと言い、天界の理を元に戻すための大事な役目を負っているのだと説明した。
 突然目の前に現れた男の言うことを素直に信じるわけにはいかなかった。それもそうであろうと、南斗星君は小さな奇跡を起こして見せることにした。
 南斗星君は南の空の星に輝く星々の精霊の長であり、〈人〉の生を司る南星を守護する者である。天帝や西王母と言った生まれながらにして神の力を持つ者とは違い、精霊として誕生し守護するものを持った後に天帝によって神の位に引き上げられた仙人が一人。
 その小さな奇跡。
 南斗星君が生まれたばかりの星見の額に少しだけ触れた。すると、赤子であった星見が抱き上げていた母親の腕の中で少しだけ成長したのだ。南斗星君から見ればほんの少しの成長ではあったが、〈人〉の成長としてみればかなりといえよう。
 生まれたばかりの赤子は南斗星君の奇跡のより、幼子と呼べるくらいに成長していたのだ。母の腕から統べる降りるようにして床に立ち、彼女の服の裾を握り締め笑みを浮かべる我が子に、両親は驚くばかりであった。
 さすがにもう信じるしかない。
 驚く両親に南斗星君はさらに告げる。
 天界の理を元に戻すための大事な役目。その役目を果たすまで星見は死ぬことは許されない。しかし、〈人〉であるその身体は〈人〉の世の理に従って滅びゆくもの。星見の記憶は次の星見に引き継がれ、役目が晴らされるまで星見の誕生は繰り返される。その誕生を担う者はこの一族の中の女性に引き継がれる。いつまで続くかわからないその役目の終わりまで続く事の対価として、星見が生まれることになったこの一族が半永久的に金銭的にも立場的にも困ることが無いよう加護を授けると約束した。
 
――その子の名はハヌルと名付けるがよい。今後も生まれてくる星見にはすべてその名を付けよ。星見の役目についてはその子がもう少し成長したときに教えてやろう。

 そう言い残して、南斗星君はその場から姿を消した。
 次に姿を現したのはそこから十の歳月がたった頃。
 星見の生家は発展を遂げ、屋敷には多くの使用人が働き、町一番の商家を名乗るようになっていた。一族もその商家で働きさらに利益を生み出しいた。
 南斗星君はふらりと店先に姿を現した。星見の両親はすぐにその姿に気づき大慌てで屋敷奥へと案内した。
 幼子だった星見ハヌルは〈人〉の世で言う10歳で十分に子供のはずだった。しかし、そこに居たのはあまりにも大人びた雰囲気を身に纏った〈人〉である星見だった。
 南斗星君は星見に己の役目を伝えるために来たのだと言った。確かに、最初に彼に逢った時、そう言っていたことを両親は思い出す。そして、どうしても確かめておきたいことがあると言って南斗星君に訴えた。

――ハヌルがこの場所を離れたほうが良いというのです。この地が戦になり多くの人が死ぬのだと。でも、ここは国境の近くでもなければ辺境の地でもない。王都への主要な道を中心に栄える都市で、王様の弟君が治める警備も万全で安全な土地のはずなのですが…。

 南斗星君はたいして驚く事もせず静かに頷いた。南斗星君には少し先の世を垣間見る先読みの力が備わっている。その南斗星君の身体の一部を取り込んで生まれた星見にもその力は現れているようだ。南斗星君は星見の持つ力の一つであると説明し、両親にはなるべく早くこの地を離れたほうが良いだろうと伝えた。
 そして星見にしか聞こえない声で、南斗星君はその役目を話して聞かせる。

――星見の役目は、〈人〉の世に落とされた青帝を見つけ出すこと。私の力の一部を引き継いでいるのは青帝を見つけるために必要なものだからだ。〈人〉であるそなたには理解できないことかもしれぬが、この先どんなことがあろうともその力は失われることは無いし、自らその命を手折る事も出来ぬ。星見の命は青帝と共にある。星見には私の力と共に青帝の欠片も引き継がれているのだ。その欠片がそなたを青帝の元へと導く。

――青帝を見つけ出して役目は終わりではない。おそらく青帝は〈人〉として生きているはずだ。青帝の記憶を覚醒させ、もう一人の〈人〉と出会わさねばならない。よいか、星見の役目はあくまでも青帝に関わる事のみ。もう一人の〈人〉については青帝の覚醒後に気に掛ければよいのだ。

 そこで星見は南斗星君に疑問をぶつける。星見の命は青帝と共にあるとは?青帝が〈人〉として生きているなら、その青帝もいずれは寿命を迎えこの世を去るはず。自ら命を絶つこともできない自分が、いつどこで見つかりいつ覚醒するかわからない青帝を見つけ出すまでどれだけの歳月を生きていかねばならないのか。
 南斗星君は星見に青帝が〈人〉の世に落とされた理由を話して聞かせる。そして、青帝が天界へ戻るための条件も。

――神の力は〈人〉の世に存在するにはあまりにも強すぎる。ありのままで〈人〉の世に降り立とうものなら、生きとし生けるありとあらゆるものに影響を与え、その生命を脅かすことにもなりかねない。神々が〈人〉の世で長い時を過ごすにはその力を封印せねばならないのだ。我はそなた星見を〈人〉の良いに送り込むために力の源である手の指の爪を一部分切り落としたことでだいぶ抑えられている。故に、今そなたや両親が見ている私の姿は、残された我の仙力によって保たれた形にすぎぬ。

――〈人〉の世で青帝を探すには〈人〉である必要があった。〈人〉は母の胎内でその命をはぐくみ母の腹から生み出される。そなたの母が星見の母となったことは偶然だ。そして、そなたを産んだことにより、そなたの一族の女性が星見の誕生を引き継ぐことに決まった。それ故に我はそなたの一族に繁栄の加護を授けたのだ。

――そなたの誕生は青帝が〈人〉の世に生まれ落ちたことを意味する。青帝が〈人〉としての命を失い、次にまた〈人〉の世に生まれる時に、一族の女性から次の星見が生まれ、先の星見からの記憶を引き継ぎ、今のその姿かたちは消えてなくなる。それが星見にとっての〈人〉としての死だ。星見の役目が果たされるまでそれが続いていく。

――星見の存在は、〈人〉の生を司る南星の守護神である我と、〈人〉の死を司る北星の守護神である北斗星君とで施した術なのだよ。

――先読みの力は青帝に関することだけだ。そなたが感じ取った『この地が戦に巻き込まれる』と言うのも青帝が関わっているからだ。他にも視えているものがあるのなら、それもすべてそうなのだ。青帝に出会えば彼がそうなのだと星見ならわかる。その先読みの力、どう使おうがそれはそなたの自由。

――そろそろ我が〈人〉の世に存在できる力も…残り少ない。…青帝を…頼む。

 まるで煙のごとく、南斗星君の姿はその場から消え去った。
 何が語られていたのかわからない両親。
 星見は自分が何者であるかを理解し、両親や一族を守るために再度この地を離れた方が良いと言った。さすがに目の前でこれほどの奇跡としか言いようのない出来事を見せられて、両親は信じないわけにはいかなかった。
 急いで準備をはじめ、星見も、両親も、商いを大きくするために引っ越すのだと使用人たちにも言い含め、一月後には王都の一角に新たに店を構えることが出来た。
 王都にやってきてから、星見は胸騒ぎが止まらなかった。半年後、それまで自分たちが暮らしていたあの土地は、戦の中心となった。現王の弟が謀反を起こしたのだった。
 星見の両親は、南斗星君が言い残した先読みの力と言うものが本当であると確信した。そして、その力が他に知れ渡れば、わが子である星見は悪人に利用されどうなるかわからないとも思った。
 その思いはすぐに現実のものとなる。
 戦に勝利した王弟は、自分が治めていた土地で大きな利益を上げ、多くの税を納めていた一族が商売ごと王都へ引っ越したことを怪しんでいた。まるで、自分が兄王に対して謀反を起こすのを知っていたかのような行動に何か裏があるのではと思った。調べさせると、その商家の子が、戦が起こるから逃げたほうが良いと言いまわっていたというのだ。
 戦に勝利し、新たな王として王都へやってきた王弟は臣下に命じ、星見を目の前に連れてこさせた。
 王弟…新王には息子がいた。その息子と同じ歳だと聞いていたのだが、目の前に連れてこられた星見はもっと年上に見えた。まずそこから怪しいと新王は思っていた。
 星見はと言えば、王宮に足を踏み入れた時から強い力を感じ取っていた。

――青帝に出会えば彼がそうなのだと星見ならわかる。

 北斗星君の言葉か思い出される。おそらく、青帝は王宮に居るのだ。ならば、自分が先読みで知っているこの国に起こる出来事を、今目の前に居る新王に話して聞かせれば、自分がこの王宮内で青帝を探す願いを聞き届けてくれるのでは…、と思った。
 新王からの問いかけに、星見は自ら自分の持つ先読みの力を明かし、数年先にこの国に起こるであろう災いごとを言ってのけた。それは兄王一派の残党がこの王宮に乗り込み、玉座を奪い返そうとする、と言うものだった。
 先読みの力は厄介なもの。その力を利用し己の私利私欲を満たそうとするのが〈人〉である。
 星見は…王宮から帰ることは叶わなくなった。星見の言ったことが本当に起こるまでは手放すわけにはいかない。本物なら王宮に囲い込むし、偽物であればその首を切り落としてしまえばいいだけの事だ。

 そして、星見が予言した通りの事が起こった。

 王太子として封じられたばかりの王子が、その残党一味をすべて片づけて見せたのだ。
 予言は本物だった。
 王は王太子に予言のことを話して聞かせ、何が起こるのかを知った上で王太子は動いた。予言の事を知らない家臣たちや兄王一派は、王と王太子の力だと信じ込み、盾突くのは無駄であると悟った。
 それをうまく利用しようと考えた王は、この地に古くから伝わる神々の言い伝えである四神をこの国の守護神とすることを決め、王宮の四方に守護神の像を置き、先読みが出来る星見を閉じ込めておくための神殿まで造った。そして、星見に逢うことが出来る者を王と王位継承者だけとし、予言を自分のものにしたのだった。

 星見は、と言えば。閉じ込められたときはどうにかしてそこを抜け出し、日に日に強く感じる青帝の気配を手繰り寄せねば、と思っていたのだが。
 星見の予言が本当に起こり、そのおかげで騒ぎは最小限の被害で収めることが出来た。
 そう言って年若い王太子が星見の前に姿を現したとき。

――青帝に出会えば彼がそうなのだと星見ならわかる。

 南斗星君の言った通りだった。目の前に立つ王太子が青帝の〈人〉としての姿であると、星見にはすぐわかった。そして、星見は自分の体の中から何かが込み上げてくるものを感じ、両手を握り締め胸に強く押し当てた、手の中が熱くなり、気づけば青い光を放つ小さな玉がそこにあった。それが何でどうしてここに現れたのか。星見にとっても初めての事で説明しろと言われてもできない事だが、それが意味することは本能が知っていた。
 小さな玉を王太子の前に差し出す。すると、王太子もそうするのが当然とばかりにその玉を手に取り、口に運ぶとそのまま飲み込んだ。飲み込み、わずかな時を置いて、自分が何をしたのか信じられないとでもいうように目を見開き、そして己の中から湧き上がる不思議な力に思わず身震いした。
 
 青帝は覚醒した。

 正確には、自分が青帝の力を持っていると思い出した「だけ」だったのだ。
 王太子はかつて自分が神であったころの知識で様々な政策を行い、父の跡を継ぎ王となり、この国を発展させ、大陸のほとんどを治めることに成功した。それには当然星見の予言も関わっていたし、何より青帝として青龍の加護を受けられたことが大きかった。
 彼も妃を迎え子の親となる。星見は子が生まれて七日目に、彼にそうしたように玉を授けることになった。それは四神の一つである玄武の加護を持つものだった。二人目の子は白虎、三人目は朱雀…その後、側室も含め、王である彼には五人の子ができたが、青龍の加護を受ける子は生まれなかった。
 そこで星見は気づく。青龍の加護を持つ者が青帝である〈人〉なのだ。
 さらに、その加護を与えるという行為は、王たる者の子にしか作用しないことも分かった。

 そして、〈人〉としての最初の青帝は、その人生を終えた。

 本当の意味で、南斗星君が言う星見としての役目を果たせぬまま。彼は、南斗星君の言うもう一人の〈人〉の事は一つも思い出さなかったのだ。
 そして、星見は先読みの力が失われていることに気づいた。星見は、新たな王に請われても何も未来の景色は見えることが無かった。新たな王は父の後を継ぐに足りる立派な人物であったので、予言などなくともこの国を問題なく収めることが出来ていたので、先読みすることのない星見を王宮内の神殿に閉じ込めておくことに止めた。もっとも…星見の予言がいつ降りてくるかわからない故の独占欲からだった。
 星見を手放せば、その星見を次に手に入れた者が予言を手にし、自分を、この国を脅かす存在となる。王はそう思っていたのだ。
 やがて、その王にも子が産まれようとしていた。その時、初めて、星見は自分の命が終わることを先読みで知った。そして、それとほぼ同じくして、星見の一族の中に自分と同じように赤い小指の爪を持つ赤子が生まれたと知らされた。すべて、南斗星君の言った通り。
 星見はその赤子が成長し、物心つくとすぐに王宮へと呼び出した。新たな星見「ハヌル」もまた、現星見と出会った時に悟ったのだ。己の役目を。そこで、現星見は再びこの国の未来を先読みできるようになった。しかし自分の命は間もなく消える。どうすればいいのか、それも星見である自分がわかっていた。

 最初の星見がその命を消す瞬間、新しい星見に〈星見〉としての記憶と予言が引き継がれた。新しい星見の最初の仕事が、新たに生まれた王の子に守護神の加護を与えることで、それは青龍の物だった。星見と同様、〈人〉としての次の青帝が〈人〉の世に生まれたのだ。
 つまりは、青帝はこの王家にのみ生まれるのだ。
 そうやって、星見は星見へと新たに気づく琴も含め、その記憶を引き継ぎ代替わりしていくことになるのだが…。いずれの代でも、青帝が覚醒し、南斗星君の言うもう一人の〈人〉と出会い、すべての役目を果たすことはできなかった。
 青帝が覚醒しても、もう一人の〈人〉に出会うことは無かったり、出会ったとしても青帝は覚醒しなかったり。もどかしいほどにすべての条件が揃うことは無いのだ。

 そうして、何代もの王が代替わりして迎えたある御代に、その星見は誕生した。自分の子が王位を継ぐことになるだろうという予言を残す、あの星見だった…。



2021-02-23 (Tue)

【夏宵奇譚】第25章

【夏宵奇譚】第25章

【第25章 真相】 天界に百の花が一気に咲き誇った。その話を聞かされた百花仙子は驚きの余り声なき叫び声をあげた。天界は神々が住まう神聖な場所であり、その神々の頂点に立つ天帝が統べる所なのに対し、仙界は女仙を統べる西王母と、男仙を統べる東王夫が住まう所である。天界の下位層にある仙界は、あまたの精霊たちが多く暮らしており、神々たちも自由に行き来できる所であった。人間界に四季があるように天界にも四季があ...

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【第25章 真相】

 天界に百の花が一気に咲き誇った。その話を聞かされた百花仙子は驚きの余り声なき叫び声をあげた。

天界は神々が住まう神聖な場所であり、その神々の頂点に立つ天帝が統べる所なのに対し、仙界は女仙を統べる西王母と、男仙を統べる東王夫が住まう所である。天界の下位層にある仙界は、あまたの精霊たちが多く暮らしており、神々たちも自由に行き来できる所であった。
人間界に四季があるように天界にも四季がある。いや正確には天界に四季があるから人間界にもあるのだが。その天界に咲く百の花にはそれぞれを管理する精霊がいて、さらにその精霊たちを統べているのが百花仙子であった。
年に一度、西王母の生誕を祝う宴に天界の花を司る精霊たちを連れて行き、それぞれの花を咲き散らしたことはあるが、それは百花の精霊たちが己の手から花弁をまき散らすもので、直接咲き誇らせている物ではなかった。
天界に咲く百の花はその咲き時を百花仙子が決めていた。春の花を管理する精霊にそろそろ咲き時だと命じれば、百花の精霊が「花よ咲け」と、己の花の種に仙力を与える。
 春夏秋冬。それぞれ二十五に割り振られた精霊たちが百花仙子の元、己の花を護り咲かせているのだ。精霊とは言え仙力は有限。春の花は二十五種あるが、さらにその種から派生して存在する草花も多く、夏の花が咲き始めるころにはその仙力も底をつき、残りの季節は仙力を蓄えるために過ごす。そうやって百花の精霊たちは仙界に存在しているのだ。

だから、天界の花が一斉に咲くということはあり得なかった。

 百の花、それに派生する草花が一斉に芽吹き、その花が満開になったその景色はあまりにも美しかった。が、一斉に枯れるそのさまはあまりにも醜かった。本来ならば一つの季節の数月の間咲くことが出来るはずの花々は、精霊たちの仙力を一度に浴びたせいもあるのだろう。咲き始めたそのそばから枯れていく。
 かろうじて被害を免れたのは樹木のみ。北方にそびえる神山を住みかとする万物生長をつかさどる神〈女夷〉がその異変に気づき、仙力の流れを押し止めたのだ。しかし、あまりにも大事過ぎる異変を押し止めた女夷の仙力も百花に影響を与えてしまった。
 枯れた百花は、本来一年の眠りに就けば再びその花を咲かせることが可能であったが、押し止めるその仙力の影響を受け、種となってこぼれ落ちたのだった。
 すぐさま天帝はその種を拾い集め、かろうじて仙力が残る精霊に事の次第を説明するよう詰問する。その精霊の答えはさすがの天帝にも信じられるものではなかった。

――百花仙子様が命じられたのです。「すべての花よ咲け」と。




 正殿は常に多くの者の出入りがある。王が住まい、この国の政が決められる場所。王の世話をする者、その仕事を補助する者、王の臣下に付き従ってそれぞれの役目を果たす者。
 王直属の内官であるドンソクはそんな彼らとすれ違うたびに礼を交わす。おかげで目的の場所にたどり着くには時間がかかりそうである。
「ドンソク様。これではいつになったら到着できるのかわかりませんよ。どこか裏道なのは?」
「あるにはあるが、私がこの道を使っているという事実を見せつけておき必要があるのだ。今後に起こりうる様々な事態を考慮すれば、姿を隠しておく方が危うい」
 ドンソクがいうこともわからないではあるが、ただでさえ立后の儀を前にして人が多い。
 漸く王の執務室あたりにたどり着くまでに、既に数十名と礼を交わしていた。ドンソクは執務室前の扉に控える王宮警備兵にちらりと視線を向けた。王宮警備兵もドンソクであるならば…といつも通り無言を通す。

「王陛下、ドンソクでございます」
 
 執務室入口でドンソクが声を張り上げるようにして名乗れば、部屋の中から「入れ」と短い返事が返ってきた。それを確認し、ドンソクはハヌルを伴って執務室へと足を踏み入れる。
 さすがのハヌルも王の執務室に入るのは初めてだ。歴代の王が使用してきたこの部屋には、それなりに重厚で豪華な家具が置かれており、その部屋の奥に置かれている大きな机に王は座っていた。
 机の上には多くの書類が積み上がっていて、筆を手にした王はにこやかに笑顔を浮かべてドンソクを出迎えたが、背後にあるハヌルの姿を見るとその笑顔を消し去った。
「ドンソク、後ろの女官は誰だ」
 冷たい声だった。
「恐れながら…」
 ドンソクがハヌルを紹介しようと一歩前に歩み出る。その時、執務室奥の部屋から互いに見知った人物が姿を現した。
「…ハヌル!」
 その見知った人物…王太弟であるシンが思わずハヌルの姿を見て声を上げた。星見ではなくただの女官としてのハヌルがこの場に居ることに驚いたのだ。
「…シン。お前はこの女官を知っているのか?」
 王がそう尋ねれば、シンには珍しく困ったような表情が浮かぶ。
「後宮の女官です」
 シンがそう答えると、王は目を細めてハヌルを見つめてきた。ドンソクもハヌルの事は後宮の女官であると紹介するつもりでいたので、とりあえずこの場はしのげそうだと思った。
「で?なぜドンソクが後宮の女官を連れてきたのだ。何か問題でも?」
 王の視線がハヌルから外れ、手元の書類に移る。筆を取り、先ほどまでそうしていたように書類に王の署名を施す。
 ドンソクは、まさかこの場に居ると思わなかったシンをちらりと見やる。それに気づいたシンが何かを察したようだったが、ドンソクが話したいことを自分も聞いておきたいと思ったようで、ドンソクが答えるのを待っている。
「ドンソク」
 問いかけに答えが返って来ず、少しばかりきつい口調で王がその名を呼ぶ。
 その時、小さく耳鳴りがした。
 それはドンソクだけでなく、王とシンも同じようだった。それぞれ自分の耳を手のひらで覆う。
「ご無礼を。邪魔が入らないようにこの部屋に結界を張らせていただきました」
 ハヌルが落ち着いた声でそう言う。
「結界だと?そなた後宮の女官ではないのか」
 たかだか女官にそのような力があるとは思えない。神殿に仕える特別神官ならともかく。
 そう考えたところで王の動きが止まった。
「そなた…ハヌルと言ったか。星見と同じ名前…」
「流石は王陛下。星見についてご存知のようですね」
「は…!星見は正神殿に居る。星見の名を語り、結界を操るそなたが、女官としてドンソクに取り入りでもしたか?それにシン。お前もこの女を知っていた。この場にドンソクがこの女を連れてくることを知っていたのだな」
「王陛下!」
 王は忌々しげにドンソクを見る。初めてそんな視線を向けられ、ドンソクは激しく動揺した。シンはそんなドンソクとは反対に落ち着き払っていた。
「結界を張ったのは私です。つまり、私が解除しない限りこの部屋には誰も入ってこられないし、誰も出て行くことはできません」
「何?」
「私はハヌル。先日、神殿の面通し所で貴方に切りかかられた星見ですわ」
 王の目が大きく見開かれた。
「何故それを知っている」
 それまで、女官と言う立場から王に従える者であるとわきまえた仕草をしていたハヌル。しかし、星見であると名乗り、王が星見と対面したときに何をしたのか記憶しているであろうことを口走ったことでその態度を豹変させた。
「…!」
 ここは王の執務室だ。神殿ではない。それなのに、王が感じるこの気配は紛れもなくあの場の物で、それは目の前に立っている自らを星見と名乗る女官から発せられているのが分かった。
 王にしてみれば、神殿の面通し所で気配を感じ会話を交わすことはあれど、直接その姿を見たこともなければその声を聞いたこともないのだ。女官の格好をした女が目の前に現れて自らを星見だと名乗ったところで信じられるわけがない。

「そなたが切りかかったのは我の気配をまとった式神。星見殺しの名を持つ王とならずに済んだのだから、安心するがよい」

 王は自分のからだじゅうの皮膚に嫌な汗が浮かぶのを感じた。
 自分が神殿で聞く星見の声は直接頭の中に響く、違和感のある声質だったのだが、直接目の前の星見がその口から発したものは確かに彼女自身の物で。なのに理解できる。
「星見…まさか…本当に…?」
「私が言ったことを覚えておいでか?『この国が存続するための理を受け入れることが出来ねば、この国は滅びるであろう!』…と」
 王の体が揺れた。
「この姿を王の前にさらしてまで、我は星見であることを明かそうとは思わなかった…が。事情は変わった。既に問題はこの王家だけにとどまりません。わが星見の家にも影響が及ぼうとしている」
「星見の家がどうしたって?」
 それまで黙って事の成り行きを見守っていたシンが声を上げた。
「それに、星見に切りかかったって…」
 思わずシンの手が王の肩に掛けられた。
 あの時、神殿の面通しところであった出来事を知る者は四人だ。王とドンソク、星見と特別神官である女官長スヨン。当然だが、ドンソクは東の皇太后にさえ、報告はしていなかった。だから、当然シンもこの件については知らない。
 これは覚醒の良い機会かもしれない。
 ハヌルはシンの方に向きなおった。
「星見が代替わりする直前に次代の星見は誕生する。星見は次代の星見に託す予言を残しその役目を終える。王の息子であるお二人はご存知でしょう」
「ああ。それがどうしたというんだ」
 ハヌルは再び王の方に向き直り、今はその袖口によって隠されている彼の手のあたりを見つめた。
 その視線を受けて、王は手を机の下に隠すようにして下ろした。
「私にはまだ新たな予言は降りてきておりません。それに、次代の星見が成人だったこともありません。長い星見の歴史の中で星見が同時期に二人存在していたこともない。ならば、その証は何なのか。星見はその昔、南斗星君様の体の一部が人の胎内に宿って誕生したのが始まりと言われています。なので、私の子の体にある星見に証しは南斗星君様によるもの。ならば、もう一つの証し…それはおそらく南斗星君様と対になる存在のお方、北斗星君様の体の一部が人の胎内に入り込んだものと思われます」
 ハヌルはそう言って王の元へ歩み寄ると、彼の腕をつかみ上げその手を目の前にかざした。
「ぶ…無礼者!」
 ハヌルはその手に並ぶように自分の手を掲げた。
「…‼」
 王は驚きで思わず息を飲み込んだ。
 ハヌルの手にある小指の爪も、自分の小指の爪のように赤かった。
「わが一族は、最初の星見が誕生してからその富を増やし続けています。次代の星見は一族の女性からしか生まれず、いつどこで誰から生まれるかもわからない。星見は一族の富の象徴。小指の爪が赤い赤子が生まれれば、すぐに本家へ養子に出される。それ故に、一族の女性は大事に守られその一生を過ごします。その伴侶となる者もまた然り。
 王よ。あなたは星見の予言が己の物ではなく、青帝のために存在すると知った。ならば、星見が代替わりする機会もお分りでしょう」
 王が息を飲み込む。
「青帝が生まれる時に星見は代替わりをする。その青帝がその命を失いこの世に存在しなくなっても、星見は生き続け…次に青帝が生まれる時にまた代替わりを行う。そうやって私は…先代もその昔に存在した星見達もそうやってこの世に生き続けてきたのですよ」
 ハヌルは王に言い聞かせるように話し、その手を掴んだまま顔をシンの方に向けた。
 先代王の子として守護神を持ち、星見と直接会うことを許され、予言の事も知っている。しかし、今、ハヌルが王に話して聞かせた内容には自分が知らないことがあった。
 シンは思わず眉をひそめた。
「星見は…王の代替わりに伴って代替わりするのではないのか?」
 シンのその小さなつぶやきに、王が目を見開いた。そしてくつくつと己の肩を揺らして笑う。それまでされるがままで掴まれたその手を振り解いた。
「…そうか。シン、お前にも知らないことがあったか」
 すべてを知る者だと思っていた王弟が、実は知らないこともあった。それもこの王家に深く関係する星見に関することで。自分はその経緯はどうであれ、真実を知っている。知っているという事実が王を奮い立たせた。
「残念だったな、シン。お前はこの私の手に星見の証しが現れた事で自分が王となる機会が巡ってきたと思ったのだろう?」
 不敵な笑みを浮かべる王。シンは何かを確かめるかのようにハヌルを…星見を見つめた。
 星見は守護神を持つ王の直系の見方のはずだ。直系の血が一滴も持ち合わせていない、自分より後に生まれた数の目の前の男が王位に就くのをただ見ているだけだったのも、父である先代王と星見がそれを良しと認め、母や姉にもそれを認めさせていたからだ。
 今回の妃選びが始まって、様々な出来事がうまく絡み合って、間違った王家の判断を元の正しいものに塗り替えるはずだったのだ。
 シンはこぶしを握り締める。星見に…ハヌルにすべてを知らされていたはずだと思っていたのに…!さらに、それまでただ黙ってハヌルの後ろに佇むドンソクにも気が付いた。
「ドンソク…。なぜそうも落ち着いているんだ」
「王太弟殿下。ドンソク様も今私が話したことは知っていらっしゃいます」
 シンの問いかけにドンソクは何と答えて良いのか戸惑っていると、ハヌルが彼の代わりにそう答えた。それを聞いた王の表情が明るくなる。
「そうか、ドンソクも知っていたのか。ならば隠すことは無いな」
 王は再びこの場の主導権を握ったかのごとく、王として威厳たっぷりに言い放った。

「この部屋に結界を張ったというならばそれこそ好都合。この場にはこの王家の秘密を知る者しかいないのだ。探り合いは無用!星見よ、ドンソクもだ、王たる私に会いに来たのならその目的を果たせ」

 ハヌルは居住まいを正し三歩ほど後ろに下がる。そして王と王太弟の二人を改めて見やった。




2021-02-07 (Sun)

【夏宵奇譚】第24章

【夏宵奇譚】第24章

【第24章 それぞれの運命】 離宮から後宮へ向かうため、ハヌルは裏道を通って行く。表の回廊は人の目につきやすい。秘密裏に行動するときはいつもこの道を使っていた。先ほどヘミョンと通ったのもこの道だった。 だから、後宮の裏口付近に近づいた時、そこにドンソクが立っているのを見つけて驚いた。先ほど離宮を退出して王の居る正殿に言ったものとばかり思っていたのだが。「貴女に話がある」 ドンソクはここをハヌルが通...

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【第24章 それぞれの運命】

 離宮から後宮へ向かうため、ハヌルは裏道を通って行く。表の回廊は人の目につきやすい。秘密裏に行動するときはいつもこの道を使っていた。先ほどヘミョンと通ったのもこの道だった。
 だから、後宮の裏口付近に近づいた時、そこにドンソクが立っているのを見つけて驚いた。先ほど離宮を退出して王の居る正殿に言ったものとばかり思っていたのだが。
「貴女に話がある」
 ドンソクはここをハヌルが通る事を知っていたのだろう。先に同じ道を通ってここで待っていたのだと分かる。
 ハヌルは無言で頷くと、人目に付かないよう裏口から後宮へドンソクを招き入れた。こんな時、チェギョンの部屋が後宮の中でも奥まったところにあるのは都合が良かった。今は主不在のチェギョンの部屋に入ると扉に鍵をかけた。
 これで誰にも邪魔されず話ができる。ドンソクはおもむろに口を開いた。
「妃候補付きの女官が部屋を選ぶことが出来るが、ミリ嬢などそれなりの令嬢たちは入宮の前にすでに女官に話を付けておき、なるべく妃の殿閣へ近い場所を自分たちの部屋になるように選ぶ。
一代に一度きりの妃選びの儀式のために入宮する令嬢の数はその代によってまちまち。今回は二十名であったが先代の時は十二名、先々代の時にあっては四十名の部屋が埋まるだけの候補を集めたと聞いている。
どの部屋を使おうが咎めたりはしないが…今回の人数から言ってもチェギョン嬢が一番奥のこの部屋を使うことに、王陛下も私も少々疑問を持った。後見も何もない田舎の令嬢だから敢えてこの部屋を選んだのかと思ったが…。今となればハヌルが最初からこの場所を選んだのなら納得だ。ここは後宮の中でも一番奥の部屋で裏口にも近い、しかも部屋から見える庭は離宮の庭と竹林で遮られているが繋がっている。王太弟殿下も王女殿下も、その身分を隠してここでチェギョン嬢と会っていたのだな」
 ドンソクの物言いは、王直属の内官である者と妃候補付きの女官でしかない者の立場を示すものとなっていた。
 先ほど離宮の西の皇太后の部屋で、ドンソクはハヌルと共に王に仕える側だと言った。だからなのだろう。ヘミョンも言っていたが〈人〉は愚かである…ハヌルは今まさにそれを実感していた。
 ハヌルは星見であり、この国の王家との契約により王の側にいると言った。そう、現王であれ王太弟であるシンが謀反を起こして王位に就いたとして、どちらにしても星見はこの王宮に在り続けるだけなのだ。王家内部の争いごとに手を貸すつもりはないし、どちらの味方に付くこともない。
 星見は、青帝のために予言をする。その予言は青帝が存在するこの王家を守ることになり、四神はそんな王家が存在するこの国を護ってきた。
 ドンソクが星見は王の味方だと思っているのは仕方のないことだが、その意味をもっとよく考えねばならないだろう。
「確かに…この場所をチェギョン様の部屋として選んだのはそれが理由です。妃候補として末席になったのも、すべて私がそうなるように取り計らいました。王陛下の目の届かないところだと…そう思ったからです。しかし、王陛下はチェギョン様を見つけてしまった」
 顔合わせの儀の折。最後にその名を呼ばれたチェギョン。王宮と言う場所になれる間もなく大きな儀式に立ち、その中で自分の名を呼ぶ声も聞こえない程緊張した結果、王陛下の目に留まった、とのことだったが。きっとそれ以外の何かの力が加わっていたのではないかとも思える。
それに最初に気づいたのはきっと東の皇太后だ。だから、チェギョンに詰め寄ったのだ。彼女こそすべての元凶だというのに、いつの人生においても青帝と紫仙女の間にあって邪魔をし続けている。前世の記憶も何も持たない〈人〉のはずなのに、今世こそと思うその時にいつも…。
 ハヌルが思わず顔を歪ませると、それを見たドンソクはハヌルが王の事をよく思っていないのではないかと考えたらしい。
「王陛下は大臣たちの言いなりになるような愚王ではない。自らこの国を良い方向に導くために日々努力をなさっておられる。しきたりにのっとって妃選びを行うことになった時も、東の皇太后さまが推す推薦式ではなく、この国全ての領地から代表となる令嬢を入宮させる方式をとられた。さすがに王都からは複数の令嬢を入宮させることにはなりましたが」
「結局、東の皇太后さまが思い描いた通りの令嬢が第一位の妃となるようですが」
「それは…!」
 結局のところ、王は生母である東の皇太后の思惑通りにミリ嬢を第一位の妃にしなければならなくなった。このまま何事も起きなければ、真実を知ることもなく、その生涯を終えることになるだろう。そう、何事もなければ…の話だ。
「ドンソク様は王陛下の事をよくご存じでいらっしゃる。そしてよく仕えていらっしゃると思いますが」
「何が言いたい?」
「星祭りのあの日。貴方はご存じだった。王陛下が手を取ったのがミリ嬢であると。王陛下のお気持ちを知っておられたのに、何故、そのまま王陛下を見送られたのですか?知る者として、貴方は少しでも守護神の繋がりに縋りたかった」
「…」
 言葉に詰まるドンソクをじっと見つめたハヌルの視線が少しだけ緩められる。
「責めているわけではありません。知る者となっていなかったのなら、ドンソク様は東の皇太后さまの謀を何としても阻止しようと動いていたでしょう。そして、その謀に落ちてしまわれた王陛下が、星見に切りかかったあの時を境に変わってしまわれたのを憂い、西の皇太后さまの元へやってきた。あそこは音連れる者も少ない殿閣。女官長が離宮へ来ている事を知って、貴方はあそこで待っていたのでは?」
 ドンソクは俯きこぶしを握り締めた。先ほどまで見せていた偉ぶった態度はなくなっていた。
「何故…神々の揉め事に王陛下を巻き込まねばならなかったのですか。星見の予言が青帝のために存在するなら、何故初代の星見はこの王家と契約を結んだのですか!」
 「星見」と、ドンソクは声を荒げハヌルに向かって一歩前に進み、その胸座につかみかかろうと手を伸ばしかけたところでその動きを止めた。そして、その手を力なく下に落とした。
「貴女は…自分が星見だとすんなりと納得できていたのですか?」
 ハヌルは自分が星見であるが故に抱く思いも含めて、大きく息を吐き出してから言った。
「私たちの一族は星見が存在しているから繁栄が約束されていると思っています。一族のどの家に次代の星見が生まれるかわかりません。ですから、この手の小指の爪が赤く染まった子が産まれた親は、わが子と別れるのがつらいとかそうは思わないようで、すぐに本家に預けられるのです。
王都にある本家は表向き商家を名乗りそれなりに財を築いていますが、おそらくは星見を持つ一族として南斗星君様に選ばれた故の加護が働いているものと思われます。〈人〉でありながら、南斗星君様の体の一部が受け継がれているのですから。
そして、星見が代替わりをするのは予言の引継ぎだと…歴代の王は信じているようですが、貴方もご存知の通り、その予言はすべて青帝のために存在する」
 ドンソクは一瞬眉をひそめたが、すぐにその言葉の意味を察したようだ。
「そう、星見が代替わりするのは、青帝が〈人〉として誕生する時。〈人〉として生きた青帝がその命を終えても、星見は次に青帝が〈人〉として生まれ変わるまでずっとこの王宮の正神殿で王家に仕えてきたのです。
貴方が先ほど何故と聞いてきましたが、〈人〉として青帝が生まれるのは、いつの世もこの王家だからなのですよ。青龍の守護を必ず持って生まれるのが〈人〉としての青帝。それはいつもこの国の王となるべくして生まれてきていた。それは南斗星君様がそうなるように仕組んでいたからです。この国の王が短い期間で代替わりしていた事実があるのは知っていますか?」
「ああ…ああ…知っている。歴代の王の中で何人かは立后の儀までたどり着くことなく命を落としている。それが…まさか…」
「それが、今世だけは違うのですよ。〈人〉として生まれた青帝は王位を継ぐ者ではない」
「いや…それは東の皇太后がそう仕向けたからだ。本来であれば王太弟殿下こそが…!」
 ハヌルの視線が部屋の隅に置かれているチェギョンの琴に向けられた。
「あの琴は…紫仙女様の魂が人間界へ落とされ、初めて〈人〉として生まれ変われた時に使っていた琴です。青帝とは違い、いつどんな家に生まれるのかわからない。でも、あの琴だけは常に紫仙女様の手にあった…。それだけが〈人〉として生きる紫仙女様の目印なのです。
何故なら、青帝と違って紫仙女様は〈人〉として生を終えられると、すぐに次の〈人〉として生まれ変わっているから。
今のひとつ前の〈人〉の生を歩んでいらした紫仙女様は同じ時の流れに青帝が存在していない事を知りながら、ずっと一人で生きてこられた。その前の〈人〉も同様です。さらにそのひとつ前の〈人〉の生では青帝と同じ時を生きられましたが、元の理に戻ることは無かった」
「確かに…三代前の王は若くして亡くなられた。王位に就き妃選びを始める前に…命を落としたと記録にはあった。いや…七代前の王も立后の儀を行うその前に亡くなって…」
 ドンソクは額に手を当て、己の記憶にある歴代の王の歴史をさかのぼっていく。
「星見の代替わりが行われるのは、青帝がこの王家に生まれるあたり。男なのか女なのか、年若いのか年老いているのか、すべてが謎。噂では300年も生きていることが出来るとか、その外見はある一定の年齢から死ぬまで変わらないとか。星見について憶測が飛び交うのはそのせいです。
 私が引き継いだ記憶の中で、最も長くこの王宮にいた星見は、産まれてから代替わりをするまでに百五十年の月日を過ごしています。それに比べれば自分はまだ幼子と変わらないのではないかとさえ思うのですよ」
 ハヌルはかすかに笑みを浮かべ話を続ける。
「星見が担う役割とは…青帝のための予言をする事、星祭りの日に行われる神々の世界と人間界を繋ぐ儀式を行う事。代々の星見の記憶を引き継ぎ、その時に存在する青帝と紫仙女様の運命を元の理に戻すこと。
 先ほども述べた通り、青帝はこの国の王たるものとして生まれ、星祭りの儀式は四神を統括する神々の世界と人間界を繋ぐもの。それはこの国の王家を護ることにもつながる事。
 ドンソク様。先ほど貴方が西の皇太后さまの元で私たちは『こちら側』だとおっしゃいました。それは間違っておりません。星見である以上、私は…星見は王との契約の元にこの王宮に存在するのですから」
「ならば…!このまま立后の儀を終えられ、名実と共に王陛下の御代が健やかであらんことを望んでくれるか?」
「このまま立后の儀が行われれば…ですが」
 ハヌルが自ら「こちら側」であることを肯定したのだ。期待を寄せて問うたドンソクにハヌルはまた不穏な物言いをする。
「なに?」
「言ったはずです。星見が仕えるのは王。その王が誰であるかは…関係のないこと。王になるための争いがあったとしても、星見は一切関知しません。それが…星見の運命なのです」
「なるほど…」
「それから。貴方は王陛下の決めた妃の名を、すべては知らないと言いましたが。本当はご存じなのでしょう?」
 ドンソクの目に再び力強さが戻る。
「だとしたら?」
「何もしません。言ったでしょう、私は王に仕える身だと。王陛下が決められたことに異議を唱えることはしませんし、それを阻止しようともしない。ただ、口止めはされていないので女官の私よりも身分が高い方に尋ねられたら答えるかもしれませんが」
「それを知って、私が王陛下の決定されたことを貴方に話すとお思いか」
「私と貴方は『こちら側』なのでしょう?」
「星見が女官として存在しているとは厄介だが。いいだろう、女官の貴女にではなく星見としてのハヌル殿にお話しよう。
王陛下は第一位から第五位までの妃を決められた。側室は居ない。立后の儀にてその五名の名が読み上げられることになるが、その中にチェギョン嬢の名は…無い。あれほど執着していたのに王陛下は妃に選ばなかったのだ。だからこそ、私は不安になった。王陛下は…もしかして王太弟殿下にその位を譲位する気でいるのではないかと」
「妃に選ばなかったからと言って、一度妃候補となった者は次の妃候補にはなれません。それがこの国のしきたりです」
「そうしきたり。そのしきたりに縛られた結果が守護神を持たない王を誕生させてしまった原因の一つ。ならばそのしきたりを変えてしまえばいい」
「それはドンソク様のお考えですか」
「この国…この王宮には様々なしきたりがあって、それを守ることがこの王家を存続させていくものだと信じて疑わない者が多すぎる。変革を望む者は排除され、古いものをそのまま残したいと思う考えを持つ者のみがこの国を動かそうとしている。
王陛下は王太子となった頃からずっと考えて来ていたのです。それがご自分の出自を知ってしまわれたことで何かを変えるきっかけにしようとなさっている。私には王陛下こそが…この国の王であると思っているのに」
「王太弟殿下に王たる資質はないと?」
「少なくとも、私にとっては王とは成り得ないお方だ」
 ドンソクは現王を、王だからではなく一個人として敬っているのだと分かる。もし謀反が起こったとして、王がただ人となったとしても、ドンソクは彼に付き従ってこの王宮を去るのだろう。
「チェギョン様にとっての私であるように、王陛下にとっての貴方様、と言うわけですね」
「そうかもしれない」
「ならばなおさら」
 ハヌルは居住まいを正しドンソクをまっすぐ見つめる。それは星見としてではなく女官としてのもの。
「互いに〈知る者〉であり『こちら側』である。立后の儀までの間に青帝には目覚めてもらい、紫仙女様の手を取っていただきましょう。それが私にとってもドンソク様にとって最善の方法」
 離宮西の殿閣で話した通り。
「結果、この国が揺らぐことになっても星見のせいにはしないでいただけますか?」
「もちろん!…と約束したいことではあるが、それは王陛下が決められることだ」
「ならば、私を王陛下に目通りさせてください。女官ハヌルが星見であることは王陛下はご存じないでしょうから」
「自分の正体を話すつもりか?」
「場合によっては…そうなるかもしれませんね。王陛下の手の小指の事も気になりますし」
 ドンソクは少しばかり考えを巡らせる。そしてすぐに頷いた。
「わかった。これから王陛下の元へ参ろう」
「ありがとうございます」
「そうと決まれば急ごう。立后の儀はもうすぐそこだ」
「はい」
 
 ハヌルとドンソクは再び人目を避けて後宮を出て、王の住まう正殿へと急ぎ向かった。




2021-01-25 (Mon)

【夏宵奇譚】第23章

【夏宵奇譚】第23章

【第23章 王の臣下】 後宮。 立后の儀まであとわずか。後宮は騒がしい。チェギョンが西の皇太后の元に居ることは関係者以外誰も知らない事であり、それ故、チェギョンが後宮に居るかのようにしなければならないため、ハヌルはいつも通り女官として勤めている。食事も三食とも部屋に運び入れ、空いた食器を下げる。もっとも、その食事を食べているのはハヌル本人であるが…。「チェギョンはまだ戻らないの?」 急に背後から声...

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【第23章 王の臣下】

 後宮。
 立后の儀まであとわずか。後宮は騒がしい。チェギョンが西の皇太后の元に居ることは関係者以外誰も知らない事であり、それ故、チェギョンが後宮に居るかのようにしなければならないため、ハヌルはいつも通り女官として勤めている。食事も三食とも部屋に運び入れ、空いた食器を下げる。もっとも、その食事を食べているのはハヌル本人であるが…。

「チェギョンはまだ戻らないの?」
 急に背後から声をかけられて、ハヌルはその身体を震わせた。慌てて振り返れば、部屋の入り口にはヒョリンが立っていた。
「ヒョリン様。ようこそお越しくださいました」
 ハヌルは部屋の中にヒョリンを招き入れる。供の女官はおらず、ヒョリン一人だ。
「王陛下はこのままミリさんを第一位に妃に指名して、その後はどうなさるおつもりかしら。まったく情報が入ってこないのよね」
 ヒョリンはチェギョンの部屋の中をぶらりと歩いて回る。部屋の隅にはチェギョン愛用の琴が置かれいた。西の皇太后の元へ行くとなった時この琴も持ち出そうとしたチェギョンだったが、琴がこの部屋に無いとチェギョン不在がわかってしまうとハヌルが進言したため、ここに置いたままになっていた。ヒョリンはその琴をじっと見つめてつぶやいた。
「…あの子は…今世で青帝様の手を取ることが出来るかしら…ね」
「ヒョリン様…いえ、黄仙女様。貴女様はどうして人間界へおいでになったのですか?」
ハヌルの問いかけにヒョリンはゆっくりと振り向いた。
「かわいい末妹を案じて…と言う理由だけでは納得しないかしら?」
「天界に連なるお方がこの人間界へ降りられるとなると、西王母様のようにその力を封じ、姿を変えねば常時存在できないはずです。しかし、貴方様は、今は紛れもなく〈人〉でいらっしゃいます。青帝様や紫仙女様と同じく転生されてここに存在している。何があったのでございますか?」
「流石は星見。話を流して聞いてはくれないのね。それより、気になる事をあなた言ったわね。西王母様が…この人間界へいらっしゃるの?」
 違和感。ヒョリンが黄仙女だと分かったのは、チェギョンにヘミョンが王女であると知れた時だった。あの後、正神殿で炎帝でもあるヘミョンも交えて話をしたと思ったのだが。そういえば…猫のソラが西王母であると明確に言葉に出してはいなかった。ただ「ソラ様」とだけ。そのまま話は進んでいったから、ヒョリンもすべて知っていると思い込んでいた。
 が。この反応は…。
「ご存じないのですか?」
 ハヌルとヒョリンの視線がまっすぐぶつかった。ハヌルは無表情のままじっと見つめていた。
「どこにいらっしゃるの?ご挨拶しないと」
 薄っすらと笑みを浮かべるヒョリンは美しかった。
「色々な事が繋がったような気がします。西王母様がご自分でその姿をお見せになるまでお待ちいただくのが良いかと思われます」
 しばらく沈黙が流れる。
 それを破ったのは少々乱れた足音。
「ハヌル、居る?」
 少々ぞんざいな物言いでその場に姿を現したのは女官姿のヘミョンだった。
 部屋の中で互いを見つめ合ったまま立っているハヌルとヒョリンを見て、ヘミョンが思わず息をのんだ。
「何があったの?」
 なんとなく異様な空気が流れるこの部屋に、ヒョリンはさりげなく尋ねてみる。
「いえ…何でもございません」
 そう言って、ハヌルがヒョリンから視線を外し、ヘミョンに向きなおると一礼した。
「ちょっと急ぎの用なの。離宮まで来てもらえるかしら」
「かしこまりました」
 急いで部屋を出て行こうとするヘミョンをヒョリンが呼び止めた。
「炎帝様」
 天界での名を呼ばれ、ヘミョンが動きを止めた。
「西王母様が人間界へいらっしゃるとか…。炎帝様はご存じで?お会いになったことは?」
「…黄仙女様。ここでその話はよろしくありませんね」
 王女たる威厳に、さらに炎帝としての威厳も加わったのか、威圧的な空気がヘミョンから発せられる。さすがにヒョリンもおとなしく口を噤んだ。
「離宮へはハヌルだけ…星見だけに来てもらいます」
 ヘミョンがそう言うと、ハヌルはヒョリンにこの部屋を出て行くように促した。チェギョンが居る体になっている部屋だ。客人をそのままにしていくわけにはいかない。
 ヒョリンはおとなしく部屋を出て行く。
 その姿を見送って、ハヌルは小さくため息をついた。それを聞いて、ヘミョンが低い声で言う。
「何もなかったわけじゃないわね」
「色々繋がりました」
「あら、面白い話かしら」
「それは離宮に行ってからにしましょう」
「それもそうね」
 ハヌルは部屋の扉にまじないを施す。自分以外の誰かがこの部屋に入ろうとしても、決して開かないように、そして、すぐにハヌルにその気配が感じられるように。



 離宮。
西の殿閣の入り口に人影がある。ヘミョンとハヌルはそれを遠目に確認し、歩む足を止めた。その姿はこの離宮と言う場所では異質に感じられるもの。
「ドンソク様…」
 ハヌルがその人物の名をぽつりと読み上げた。
「ドンソクがなぜここに?」
 ヘミョンも怪しげに目を細めた。ドンソクは立后の儀の準備で忙しくしている王の側からずっと離れることが出来ないでいるはずだ。たった一人、しかも離宮の、この西の殿閣に姿を見せるとなると、何かがあったに違いなかった。
 ゆっくりと二人、西の殿閣の入り口に近づくと、それに気づいたドンソクが顔を上げてこちらを見た。
「王女殿下。それに星見殿」
 ドンソクは恭しくその頭を垂れた。
「どうしたのです?」
 ヘミョンが王女の威厳を持ってドンソクに声をかけると、彼はその身体を震わせて頭を上げた。ハヌルが尋ねる。
「王陛下のそばに仕えていなくて良いのですか?立后の儀まであと数日…」
「王陛下を…お助け下さい!」
 ハヌルの言葉を遮ってドンソクが声を荒げた。
「あれは…私の知る王陛下ではありません」
 ヘミョンとハヌルは互いを見つめ、そして頷く。
「ドンソク。ここは人目に付きやすいわ。とりあえず中へ。今ちょうど女官長も来ているから」
 立ち尽くすドンソクの横をヘミョンが通り過ぎる。
「参りましょう、ドンソク様」
 ハヌルに促され、ドンソクも慌ててでんかくへと足を踏み入れた。

 西の皇太后の部屋にドンソクが姿を現すと、皇太后にチェギョン、女官長スヨンも驚く。ヘミョンはハヌルを迎えに行ったはずなのに、なぜドンソクまで一緒なのか。
「それで?王を助けろとはどういうことなの?」
 西の皇太后の隣に座ったヘミョンがそう尋ねると、三人はさらに驚いた表情を浮かべドンソクを見つめた。
 ドンソクはまず目の前に座る西の皇太后と王女ヘミョンに恭しく礼をし、そして話を始める。
「星見と面会してのち、王陛下は立后の儀に向けて準備を始められました。第一位の妃については宰相の娘ミリ嬢が決定。先ほど、第5位の妃までの指名を決定されました」
 ドンソクの話にはヘミョンが話を返す。
「あら、以外。王はきっちり5人選んだのね。まさかとは思うけど、東の皇太后さまの指示?」
「いえ。王陛下は第二位以下の妃についてはすべてご自分の判断でお選びになりました」
「ということは、第一位の妃については東の皇太后さまの意思が反映されてるということね」
「あの星祭りの夜の事は…!」
「で…第二位以下の妃の中に、ここに居るチェギョンの名前はあるのかしら?」
「私には指名簿の中身を見る権限はございません。しかし」
「しかし?」
「名簿を完成させた王は、私が知る王ではありません。あの時、星見に切りかかってから何かが変わられた。いえ…もっと厳密にいえば星祭りの後からです。あの小指の爪の赤。あれが王陛下の体に現れてからです。星見殿は王陛下が守護の血を手に入れたからだと言った。もともと守護神を持たない王陛下が、星祭りの夜、東の皇太后さまの謀とはいえミリ嬢の破瓜の血を受けられた。守護の血を受けられたとは?」
「ドンソク。貴方が見た今の王はどんな感じなのかしら?」
「今の王は権力者の顔をしておられる。あれだけ賢王たるべく王太弟殿下と共に様々なことをしていらしたあの方が…今はご自分を第一に考えておられる」
「王と言うのはこの国の頂点に立つ者の事よ。あなたが王をどう見ていたのかは知っているつもりだけど、大臣たち含めこの国の民は王と言うのは権力者だと認識しているわ。立后の儀が済んで妃が決まれば、王太弟は不要の者となり、王としての地位はさらにゆるぎないものになる。王女ヘミョンとして言うなれば…王はついにその権力を行使し始めた。でも、炎帝として言うなれば…。

 〈人〉は愚か者である」
 ヘミョンの体から威圧的な空気があふれ出し、それはまっすぐとドンソクめがけて放たれた。ドンソクは思わず顔を腕で覆い自分の身を守ろうと身構える。しかし、それはドンソクの体に触れる直前に気配を消し去った。
 ドンソクは恐る恐る腕を避けてヘミョンを見た。
「王が守護神の血を手に入れたとしても、その血は新たに守護神を授けられる者を生み出さない。四神が交わした約束は守護神を持つ王の子を護るということ。この先もこの国が四神の守護を必要とするならば、王がやらねばならないことは一つだけ。それは守護神を授けられた者の血を手に入れることではなく、守護神を授けられた者にその役目を引き継ぐことでしょう」
「それは…王太弟殿下に譲位しろということですか」
「そうしなければ、四神はもうこの国を守護しない」
 ドンソクの顔色が悪くなる。
「まさかと思いますが、王太弟殿下を王位につけたいがための茶番…」
 ドンソクのその言葉に西の皇太后が悲しそうに眉をひそめた。ドンソクは、その表情を見て小さく首を横に振る。
「…と言うわけではなさそうですね」
「ドンソク。この国が滅びても〈人〉の世は続いていく。民は新たな王のもとでまた日々の営みを続けるだけです。天帝は人間界の出来事に関与しない。関与するのは神々の血を引き継ぐ者が人間界に居るからです」
 それまでヘミョンとドンソクの会話を聞いていたハヌルが一歩前に踏み出した。
「ドンソク様。王陛下がこのままだったとしても、私は星見である以上、この王宮に留まります。この国が始まった時の王が星見と交わした契約だからです。この国が続く限り…と。それには、この国の王が守護神を持っているか否かは含まれていません。いえ、守護神を持たないものが王になるなど、初代の王は考えもしなかったでしょう。星見の予言は青帝様のためのものなれど、それは青帝様がこの国で生きられるためのものである。裏返せば、結局はこの国の未来のためでもあるのです。星見の役目がいつまで続くのかわかりません。時代の星見となる者が一族に現れれば、それはまだ続くだけ。だから、今、王陛下の手に現れているしるしが星見のそれなのか、確かめる必要もある」
「星見殿…」
「先代の星見から引き継いだ記憶に、守護神を持つ者から繋がる者の血をその身に受けた時、王の体にその証が浮かび上がる…と言うものがありました。どんな形にせよ、王はその身にそのものの血を受けられた。浮かび上がる証しはきっと小指の爪の色」
「そうよ!ハヌルをここに呼んだのは確かめたいことがあったからよ!」
 ヘミョンが本来の目的を思い出し、ハヌルに詰め寄る。
「貴女が知る先代の星見の姿を私に見せて頂戴」
「王女様がお望みであれば」
 ハヌルは自分の人差し指をヘミョンの額に軽く当てて目を閉じる。淡い光が指先にともり、それはヘミョンの額に吸い込まれるようにして消えた。しばらくして、ヘミョンが驚いたように目を見開いた。
「北斗星君様!」
 ヘミョンの声を聞いてチェギョンとスヨンはお互いを見つめ頷き合った。それを見ていたドンソクは訳が分からず落ち着きなくしている。
「まさか…そんな…どうやって…」
 ヘミョンはうろうろとその場を歩きながらつぶやく。
「西王母様や私が人間界に来るまでの間に何があったの?」
「王女様」
 ヘミョンは「そういえば」と顔を上げてハヌルの腕を取った。
「黄仙女様の事」
「…はい」
「西王母様の事を知らないみたいだったけど、ソラの事は知っているのよね?どういうことなのかしら」
「その事ですが…」
「少しお待ちいただきたい!」
 ドンソクが声を上げてヘミョンとハヌルの会話に割って入る。
「私が知る者となってまだ日も浅い。私にもわかるようにお二人の会話を説明していただけませんか?」
「そうね。第二位以下の妃名簿の中に彼女の名前がないとも限らないし、王直属の内官であり知る者である貴方にも説明が必要ね」
 ヘミョンは何故この部屋に自分たちが集まっていたのか、その理由やそこで持ち上がった疑問など、ドンソクが離宮入口に居たことから後回しになっていたことも含め、わかりやすく説明をする。
 ドンソクはあまりの情報量の多さと、それを整理するためにしばらく黙り込んでしまった。そして、ようやくその顔を上げて周りを見渡すと言った。
「なるほど…。現段階での不明点がいくつかありますね。
 一つ目、青帝様の記憶はこじ開けてはいけない。しかし、自ら思い出さねば天界に還ることは叶わない。その方法は一体何なのか。
 二つ目、一見無関係に思える天界での出来事…百花仙子様の件
 三つ目、神々の血を持つ者を人の世に落とした張本人である北斗星君様と先代の星見の関係。
四つ目、王陛下に現れたしるしが意味すること。
 五つ目、黄仙女様を名乗るヒョリン嬢は、まことその方の生まれ変わりなのか」
 ドンソクは自分の右手の平を顔の高さに掲げ、不明点を言うたびにその指を折り曲げていき、五本の指すべてが握りこぶしに変わると、そのこぶしを左の手のひらに打ち付けた。
「星見殿はこの王家に仕える身だと言いましたね」
 ハヌルは無言のまま首を縦に振った。
「ならば、私と星見殿はこちら側、ということになる」
 先ほどまで「王を助けてほしい」と縋ってきた気弱なドンソクではなかった。そんな彼の変化にスヨンは目を細めた。
「青帝様の…王弟陛下側のそちら側とは違う。しかし、私たちは知る者でもある」
「ドンソク様。何を…」
「女官長。不明点の中で最優先で互いが協力できることは、青帝様の記憶を取り戻すことだと思うが?」
「それは…確かにそうですが」
「もし、王太弟殿下が青帝様の記憶を取り戻されれば紫仙女様との再会も叶う。西王母様が望む神々の理に戻られるのであれば…四神の護りを失ったとしても王陛下は王であり続けることが出来る。星見であるハヌル殿が居るかぎり、王は存在していられるのです」
 揺らぎ無い眼差し。
 ヘミョンはため息を一つ。
「本当に…〈人〉は愚か者…ね」
 そして、ヘミョンは周りをぐるりと見渡した。
「青帝の記憶を取り戻しましょう。その過程で他の事もわかるかもしれないわね。そうと決まれば…」
 ヘミョンはそのまま部屋を出て行こうとする。
「ヘミョン?」
 西の皇太后が思わず呼び止める。
「私に考えがあるの。ここからは私一人で動きます。詮索は無用に」
 そう言い残して、ヘミョンは部屋を出て行った。
 残された面々はほんの少しだけ息をのんで佇んでいたが…。
「ここで顔を突き合わせていても何もわかりませんわね。私も自分の仕事に戻ります。何かあれば連絡を」
 スヨンもヘミョンの後に続いて部屋を出る。
 ドンソクも、それなら自分も…と部屋を出ようとしてハヌルの目の前を歩いた時。ハヌルの冷たい視線に気づき思わずその歩みを止めた。
「ドンソク様。今の私は女官のハヌルです。立后の儀が行われるまではそのおつもりで」
 ハヌルの声も冷たかった。ドンソクは「わかりました」と返事をすると今度こそ部屋を出ていく。
 それを見送り、ハヌルは西の皇太后と故ギョンに向きなおって言う。
「妃の名簿に連なる令嬢の名を何とか調べます。チェギョン様は立后の儀までこのままこちらでお過ごしください。皇太后様…よろしくお願いします」
「わかりました。チェギョンさんの事は安心して」
「それでは…失礼いたします」
 ハヌルもその場から去り、西の皇太后の部屋は再び落ち着きを取り戻した。